毛利元就、側室を娶る・前

さて1550年代には、毛利元就は四男・後の穂井田元清を授かっています。愛する正室・妙玖不人を亡くしたあとに新しく側室を娶り、子供を授かったわけです。ここからは元就の側室たちにまつわる逸話をご紹介していきましょう。

戦国時代、特に妻は家内のことを取り仕切ってくれる存在であり、大変重要視されていました。豊臣秀吉の妻であるねねや、前田利家の妻まつ、山内一豊の妻千代なども内助の功で有名ですね。(三人とも子供が後を継いでないことでも有名ですが・・・)

そんなこんなで元就も妻を持たずを得ない状況になり、側室を娶ることにしました。これには早速近隣の豪族から様々な申し入れが相次ぎました。そんな中、最近になってから毛利に服属したばかりの三吉氏は何としても一族の娘を側室に迎えて欲しい、と思っていました。が、生憎と年頃の娘がおらず、唯一いたのは幼い童女という状況。それでも器量は良いのだし、一応は会うだけ会ってもらおうと思ったのかお見合いをセッティング。

元就を舟遊びに誘い、娘と二人きりにさせたまでは良かったのですが娘はもじもじと落ち着かず、元就が話しかけても上の空。ついにはこの状況に堪えきれなくなったのか船から飛び降りて着物を水浸しにしてしまいました。その上娘を助ける為に船へと抱き上げた元就の衣服まで濡らしてしまいました。これではとても側室に迎えてもらえないと落胆した父親に対して、元就は意外な反応を返します。

なんと元就は「明日にでも使いを出そう」と娘を側室に受け入れることを決めたのです。