毛利元就と東の方

前回、東の方と、元就の息子である四男・穂井田元清の良好な関係であった逸話をご紹介しましたので、今回は夫であった元就自身と東の方の逸話をひとつご紹介しましょう。

東の方は元就から お正月につけるお歯黒の調合を依頼されたり、輝元が毛利家の人間として器量が示せるよう中の丸からも助言してあげてね、とお願いされたりするなどして、元就自身からも随分と頼りにされていた人物だったようです。

そんな東の方への元就の手紙には

「ひらがなで頑張って書いてみたけど難しいですね。今度また教えて下さいね」

なんていう可愛い一文が残っています。現代でお年寄りがメールのやり取りを頑張ってやっているみたいでほっこりしますね。

さてこれだけでは何ですので、彼女が東の方と言われた由来をご紹介しましょう。

彼女が東の方と呼ばれだしたのは、どうやら元就死後の頃のようです。夫亡き後、子供のいなかった彼女は四男・元清の治める桜尾城の東の丸に移り住んで余生を過ごしました。この事から彼女は「東の方」と呼ばれるようになったようです。元就と杉の大方もそうですが、元清と東の方も血の繋がった親子でなくても良好な関係を築いていたようです。こんな話はなんだか見ているとほっこりさせられますね。