毛利輿元の娘

暫く毛利の親類縁者の話が続きますがお付き合いください。早くに父親を亡くし、九歳で後を継ぐも自分も早く亡くなってしまった元就の甥・毛利幸松丸の話が出ましたね。今回はその幸松丸の姉妹であり、先の当主輿元の娘であり、元就の姪の話です。彼女もまた、数奇な人生を生きた人物です。

姫君もまた早くに父を亡くし、叔父の元就の意向で政略結婚に出される事が決まります。

姫君が最初に嫁いだ相手は備後庄原甲山城の山内豊通。この豊通は推定ではありますが姫君より二十歳以上は年上だったとみられています。しかし姫君の初婚はすぐ終わりを迎えます。豊通と姫君は結婚後すぐ死別してしまうのです。

次に姫君が嫁いだのは安芸竹原小早川家の当主興景。ですが輿景もまた、安芸銀山城攻めの陣中で若くして病没してしまいます。元就の息子、従弟の隆景が竹原小早川家を継いだのはこの縁によるものです。

さて二人の夫を亡くした姫君は次は備後神辺城の杉原豊後守室となり、その次は伯耆尾高城の行松正盛の継室となり、その正盛病没後は先の夫である豊後守の一族・杉原盛重の妻として一生を終えます。因みに最後の夫、盛重は何の因果か二十歳以上年下だったようです。

戦国の女性という人生を体現したような生き様ですが、姫君にとっての幸いは歴代の夫が皆毛利家の忠臣、または毛利家と友好的な関係を築いた事でしょう。

女の最大の戦は結婚である事を体現した、毛利輿元の娘の数奇な人生です。