渡辺家のその後、

さて色々な余波を生んでしまった異母弟誅殺事件での首謀者の一人で、元就直々に誅殺された渡辺勝という人物がいましたね。彼の誅殺後、渡辺家は一体どうなったのでしょうか?

実は彼の息子であった渡辺通は生き延びて、その後毛利家に仕えていたのでした。そして時は流れて天文十二年、西暦1543年。大内義隆と尼子晴久の戦い、月山冨田城の戦いが起きました。

以前にも話しました通りこの戦は大内勢の敗北となり、もちろん大内軍の一員として戦っていた毛利元就もまた、敗走の憂き目に会いました。何とか撤退を試みる元就は軍を率いながら逃走し、出雲と石見の国境、大江坂七曲という場所まで逃げたところでついに尼子軍に追いつかれてしまいました。もはやこれまでか、そう元就が思った時、一人の過信が進み出て言いました。

「私が尼子軍をひきつけます!その隙にお逃げください!」

そう言うと家臣は元就の甲冑を自らが着込み、元就の馬に乗って尼子軍へ突撃をかけていきました。元就の身代わりとしてーーーー。

元就はその隙に戦場を脱出し、生き延びる事が出来ましたが、元就の身代わりとなって尼子勢に突撃した家臣は壮絶な討死をしたと言います。

その家臣の名こそが渡辺通。父親を元就に誅殺された彼は、自身の命を元就に捧げて尽くしたのです。