生き残った者の辛さ・3

忠長に丁重にも馬と供を貰った大膳は武時立花山城へ戻る事が出来ました。そして紹運の息子である立花宗茂に預かった手紙と、既に岩屋城が落城した事、紹運以下、壮絶な討死を遂げた事。そして島津忠長へ宛てた手紙とを渡し、自らがどのようにして戻ってきたかを説明しました。そして宗茂に告げたのが

「では、少々お暇乞いをさせて頂き抱く思います」

「ならぬ。死ぬ気であろう」

大膳の心を読んだ宗茂はこれを止めて曰く、

「今そなたが死ぬ事は犬死に等しく、亡き紹運殿も喜ばれまい。どうかこれからは余に仕え、余の馬前で死んでくれ。」

その後大膳は立花家に仕えて宗茂のの兵学師範となりましたが、後に剃髪して紹運はじめ戦死者を弔いながら一生を終えたそうです。

死んでいった者達よりも、場合によっては生き残った者達の方が辛い事もあるようです。そう言えば赤穂浪士の討ち入りの話でも、討ち入りした者達は幕府にその功績を誉め称えられて切腹となりましたが(斬首は罪人へ行うもので、切腹は武士の誉れを認める事なのです)、その時生き残った者達は逆に何故死ななかったのかと悩み、周囲からは臆病者と謗りを受けたという話もありますね。

色々と考えさせられるお話ですね。