甲斐宗運・もう一つの哀しい最期

九州・阿蘇家の忠臣甲斐宗運。島津家との戦で盟友・相良義陽を失うも、その後も嘆き続ける事無く主家への忠義を果たして島津家との外交を担当するなどして主家・阿蘇家を守るために尽くしました。この宗運、政治能力だけでなく生涯60の合戦で不敗という軍事能力にもたけた人物です。

宗運は最後まで阿蘇家へ尽くしながら病死しますが、一説にはこの最期・毒殺であったという説もあります。

その犯人は宗運の孫娘である、嫡男甲斐親英の娘。ですがその首謀者はその母親でありm親英の妻であったと言われています。

主家の為に忠義を尽くした宗運。ですがその忠義は深く、親類縁者でさえ主家の為なら手にかけて来ました。日向の伊東氏に通じようとした次男・三男・四男までもを処断した父に恐怖を覚えたのか、嫡男・親英は父を排除しようとします。これにより親英までも処断されそうになりますが、家臣のとりなしで助命されました。ですが親英の妻はかつて、実父を宗運に伊東氏への内通を疑われただけで殺されてしまった過去があります。実父をいわれなき罪で殺され、夫まで殺されそうになった妻は舅の毒殺を娘にさせる事になるのですが、ここにも理由があります。

この妻は実父を殺害された際宗運によって

「父を殺されても怨みに思わず、けして復讐しないことを祖母山大明神にかけて誓約する」

という誓紙を書かされていたのでした。もちろん宗運の身を守るためのものです。阿蘇家は宮司の家系、その家臣であるためこの誓約は破れなかったのでしょう。ですが実父を殺された上に夫まで殺されそうになり、溜まりかねて娘に祖父を毒殺させたのかもしれません。

忠義の人も行き過ぎるとこのような事になる。そんな甲斐宗運最後の逸話です。