相良武任の出奔・三回目

さてまたもや出奔しては帰ってきた相良武任。しかし山口に帰ってきて見るとそこには、天敵・陶晴賢の姿はありませんでした。実は晴賢、武任が再々出仕する二ヶ月前に暇乞いを願い出て、富田に引きこもっていたのです。これは誰がどう見ても嫌な予感しかしません。

陶の謀叛の空気をひしひしと感じたのか武任はまたもや逃げ出すタイミングを探します。逃げてばかりだなこいつの人生・・・

さて天文20年8月10日、武任再々出奔。三回目である。しかも全て同じ主。

吉見正頼に義隆の密書を届けると、武任は筑前に逃げました。そして天文20年8月29日、晴賢はいよいよ山口に攻め入りました。何があったなんて愚問、後の大寧寺の乱です。

この報を聞いた武任は花屋城に立てこもりました。しかしもう逃げる場所はなく、呼び戻してくれる主もいません。容赦なく陶軍により花屋城は攻め落され、武任の首は山口に送られ隆房によって晒し首にされました。相良武任、享年54歳。

その後、相良武任申状のことを知った晴賢は杉重矩も殺しました。この理由は諸説あり、晴賢が謀反を行って主君を討った事を杉重矩の責任としてしまったという責任転嫁説が有力です。この杉重矩は義隆の霊の鎮魂の為に晴賢によって晒し首とされましたとさ。