義将の首

岩屋城にて壮絶な最期を遂げた高橋紹運ですが、その自刃の際にこんな逸話が残っています。兵の殆どが忠義を果たし討ち死にしていく最中、島津の攻勢も厳しく、もはや岩屋もこれまでと紹運は自刃を決めました。この時、火を放って死体を焼いて、首を敵に渡さないように致しましょうという意見が出ました。紹運の、主の首を敵方に渡して辱めを受ける事を懸念した意見であったのかもしれませんが、紹運はこれを断り、こう返しました。

「それは無用の気づかいである。敵に首をとらせてこそ義を守って討死した事が分かるのだ。死体が残っていなければ逃げたと思う者もあろう。武士は屍を晒さぬもの、というが、それは死ぬ場所によるのだ。敢えて敵方に首を取らせよ。」

こうして紹運は切腹、その首は島津忠長の元へ運ばれました。この時、紹運の首と共にその最後の手紙が忠長の元に届けられました。そこには

「此度の戦もひとえに義によってである事を理解して頂きたい」

と書いてありました。それを読んだ忠長は涙を流し、床几を降りて身を正しました。恐らくそれは紹運への気使いだったのでしょう。そして

「たぐい稀なる勇将を殺してしまったものよ。この人と友であったなら、いかばかり心涼しかったであろう。弓矢を取る我が身ほど恨めしいものはない」

そう涙して、紹運の遺体共々、討ち死にした者達も丁重に弔ったそうです。