蒲池鎮並の討伐について

娘婿であり、恩ある蒲池家を攻め滅ぼそうとした事は龍造寺家にとって深い遺恨を残す事になりました。この当時ですらこの事件は非常に後味の悪い事件であり、その後の豪族達の離反を産んでしまいました。龍造寺隆信に忠誠を誓う、龍造寺四天王の一人である百武賢兼ですらこの戦への出陣を拒否したと言われています。

この百武賢兼、「その武勇は百人の武勇にも勝る」といわれて百武という名に改名した、龍造寺四天王の中でも武勇や忠義に優れていた人物でした。それだけに当時の隆信の乱心には頭を悩ませていましたが、そこへもって大恩ある蒲池家の当主であった鎮並への騙し打ちを隆信が画策した事は驚きであり、その信義を欠いた行動に賢兼は

「此度の蒲池鎮並ご征伐、龍造寺家の御家が滅びる兆しに違いない」

と号泣し、最後まで出陣要請を拒否し通して出陣しないままだったとあります。

さてこの武勇に優れた百武賢兼、その妻・圓久尼も夫と同様に武勇に優れた女傑でありました。彼女の勇ましい逸話はまたその時にご紹介しますが、この時出陣を嫌がる夫に何と彼女は鎧具足を投げつけて出陣しろと急かした様子。恐らく夫が後々隆信の不興を買うのではと心配した行動かと思いますが、こりゃすごい。

さてエスカレートする隆信の行動は、次なる問題を引き起こしてしまいます。