謀反の直前

さて大寧寺の変の概要は分かって頂けたかと思いますが、実はこの直前の大内義隆の様子が分かる逸話があります。

この謀反のあったその日義隆が何をしていたかというと・・・・足利義輝の使者と大友義鎮の使者をもてなすために 前日からの日をまたいだ酒宴を開いていました。なんと報が耳に届くその瞬間まで小太夫に幸若舞を舞わせていたといいます。

数日前から陶決起の噂が山口の町は持ちきりで、住民さえも避難をし始めているような状況だったのにも関わらず、というかこんな状況なのでもちろん謀反をされる当の本人の耳にも入っている筈なのに義隆はな―――――んにもしなかったんなは一体なぜだったのでしょうか? ある意味死を覚悟した上で現実逃避していたのかもしれない・・・とは思いたくはありません。

またこの謀反には多くの公家が巻き込まれましたが、その中でも有名なのは武田信玄の正室・三条の方の父親三条公頼や、二条良豊などでしょうか。特に二条良豊は死ぬ前に内藤興盛に伝言を頼もうとしたが、良豊を襲った兵は話が通じないタイプだった為に伝言を聞く前に良豊の首をはねてしまいました。陶の兵がここまでやった背景には、都落ちした公家に対する積年の恨みがあったと思われます。

また当時、宣教師達も山口が安定してると見て拠点にしてたのですが、この乱のせいで拠点を失ってしまったようです。当時大内はかなり大きな大大名。大寧寺の変はセンセーショナルな事件だったのでしょう。