謀神、敵の間者を使う・後

元就が軍議の席でそう零した翌の日のこと。吉田郡山城から内別作の姿が消えていました。さてはやつめ尼子の間者であったか!と家臣は大騒ぎ。しかし当の元就は、

「さてこそ軍は既に勝ちたり」(これで勝ったも同然だ)

と、大喜びであったと言います。さてその理由とは?

実は、もし甲山から城を見下ろされるような形になればどうにもならないが、三猪口は平地であるから敵が大軍であっても容易に戦える、という状況でした。実際に昨夜の軍議の際にも内別作以外の旧来の家臣は甲山に陣敷かれたら上から丸見えなんだから逆じゃないか?と誰しも思っていたですが、殿には何か考えがあるのだろうとその場はその言葉に従ったと言いいます。何という主君への絶対の安心信頼。

そして1540年8月、先のとおり尼子晴久は3万の兵を率いて吉田郡山城へ出兵。元就が軍議で危惧したとおり、尼子勢は三猪口に布陣したところ元就と駆けつけた陶晴賢、杉隆相、内藤興盛ら大内からの援軍に散々に打ち破られ退散したといいます。

毛利元就、敵の間者を逆に使って策を成して勝つ、という逸話です。いやはや凄い話ですが、何が凄いって患者を見抜いたとか逆利用したところよりも毛利家家臣の信頼が凄いですね。流石謀神、部下からの信頼関係も一流、という逸話でした。