謀神、敵の間者を使う・前

さて今回も引き続き、吉田郡山城の戦いでの逸話をご紹介しましょう。

時は1540年。祖父、尼子経久より尼子家の家督を継いだ尼子晴久はこれ以上の毛利の台頭許すまじ、と訴え、3万の兵を持って毛利家の居城、吉田郡山城攻略の兵を出して毛利家を攻め滅ぼそうと動きました。これに対して毛利家も懸命に対抗すべく兵を動かし策を巡らします…

これはその戦いの、数年も前の話になります。

一人の男が吉田郡山城の門を叩きました。男の名は内別作助四郎。 尼子晴久の側近くに使えた者でしたが、晴久の勘気を蒙って尼子家を出奔してきたという境遇の者でした。元就は内別作を家臣として雇い、自らの近臣として用いることにしました。

しかし実は内別作はかつて尼子経久が三沢氏に送り込んだ山中勝重同様、偽りの出奔をした者であって、その真の目的は毛利内部の様子を探るといういわゆる間者でした。そんな内別作を側近くで用い続ける元就。

そしていよいよ尼子晴久が吉田郡山を攻めると言う不穏な噂が流れ始めます。元就は家臣らを集め軍議を開き、愚痴るようにこう言いました。

「晴久が甲山に陣をしいてくれればいいのだが、もし三猪口に布陣されでもしたら防州への通路を断たれてしまい、我らは手の打ちようが無くなってしまう…そうなってしまえばこの城は一日どころか半時と持たないだろう。その場合はここを捨て、大内を頼り山口にでも逃げるしかないだろうか」