謀聖の舅・鬼吉川

さて謀聖・尼子経久の舅である、吉川経基について今回は少し逸話を紹介しましょう。この吉川経基は戦国早期の武将であり、応仁の乱の凄まじい武勇により「鬼吉川」と呼ばれていました。また、体中戦傷だらけだったことから「まな板吉川」とも呼ばれ、その武勇を天下に広く知らしめていた人物です。

さてそんな鬼吉川ですが、彼が京にいた時の事。

ある時内裏の内から塀の上に烏帽子が一つ、ひょこひょこと動いているのが見えました。この内裏の塀は相当の高さがあります。さては不敬者が内裏の前で乗馬をしているな、と近衛の者達は怒って不届き者をひっ捕らえんと内裏の外に出ました。

しかしそこには見上げるような巨躯の侍が、馬には乗っておらず徒歩で数人の下僕を従えて立っていました。この見上げるほどの長身の人物こそ、吉川経基です。この経基の武勇を知っている者が内裏にこの事を報告すると、時の帝は大いに興に思い経基を呼んで、彼の風貌を寿ぎ、盃酒を与えました。

所がこの時、上のほうから一匹の大きな蜘蛛が盃の上に落ちてきました。しかし経基は慌てる事も無く、

「蜘蛛に驚いてこの盃を頂かぬは武士の恥である」

と、蜘蛛ごとそれを平然と飲み干したと言う事です。戦国初期の「鬼」、吉川経基の逸話でした。

なおこの吉川家こそ後の毛利元就の次男・吉川元春が乗っ取ってしまった家であり、経基の娘が謀聖・尼子経久の妻、孫娘が毛利元就の正室となっています。何だか中国地方の不思議な縁を感じますね。