陶晴賢と村上水軍

厳島の戦いで戦の結果を左右した事に、村上水軍が毛利家に加担した事を書きましたがそれについての興味深い逸話があります。

主君への下剋上を果たした陶晴賢、彼は瀬戸内での海上交易について考えを巡らしていました。それは海賊達への通行料の事です。この海での通行料については前々から、堺の商人達からも不満の声が上がっていたのでした。

もし通行料をなくせば、瀬戸内での交易はもっと栄えるのではないだろうか。既に大内家での実験を握っていた晴賢は、能島村上氏などの瀬戸内海賊による海の支配を否定し、瀬戸内海水運の直接掌握にとりかかったのです。

『我々はその支配する海域において、商船が「煩い無く往来」することを保証しよう!海賊たちが持っていた通行料徴収の権利は「謂れ無き事」であるので、これを廃止する!』

豊臣秀吉の海賊停止令に先立つ、35年前のことです。もしこの政策が上手くいっていれば、戦国の瀬戸内の風景は大きく変わっていたでしょう。ええ、上手くいっていれば。

瀬戸内海賊最大の勢力、能島村上氏はこれに大きく反発。晴賢との対決を決めた毛利元就に味方し、厳島合戦において彼の勝利に貢献しました。陶を滅ぼした後の毛利は村上水軍に当然のごとくその権益を完全に保証しました。

陶晴賢による、早すぎた海上政策の逸話です。この政策を出していなければもしかしたら、厳島で村上水軍が味方だったのかも・・・と思ってしまいますね。