陶晴賢の誅書・後

しかし晴賢が渡した誅書を読んだ義隆は激怒しました。義隆曰く、

「世が乱れた時には武を用い、世が治まる時は文を用いる、これこそが聖人の道である!それに武官を重用せよというのは、かえって乱を起こす元であり、こんな事を言い出す人間は痴者と呼ぶべきだ!」

と言って晴賢を侮辱しました。もちろんこの侮辱は晴賢の耳へ届き、晴賢もまた激怒する事になります。そしてやってきたのは大寧寺の変。陶の謀反です。

この時武断派の者達の多くは前々から義隆に恨みを持っていたので隆房の味方をして、義隆の周りにいて詩文を作っていた歌詠み達は、一戦も交えることなく皆逃げてしまいました。結局、義隆はまともな抵抗も出来ず晴賢に国を取られてしまう事になったのです。

平時に武を捨て驕れば、大事が起こった時防げなくなる。「戦いを忘れた時は必ず危うい」と古人がおっしゃったのはまさにこの事である。

この話はこう結ばれていますが、正にその通りですね。義隆の言う事も分かりますが、時代は戦国乱世の世ですからね。余りにも時代を見間違えているとしか言いようがありません。この当時の義隆の戦嫌いは酷いものですし、世の無常を嘆いていたのかもしれませんが・・・この結果は知るべくして起きた事でしょう。

ともあれ陶晴賢の主への誅書、という逸話です。この時の陶さんは時代が分かっている人物っぽいんだけどなぁ