陶晴賢の首実検

今回は厳島合戦終了後の、陶晴賢の首実検に関しての逸話です。晴賢の首に関しては以前にもご説明しましたが、その後の扱いについてのお話です。

厳島の合戦も終わり、敗軍の将・陶晴賢の御首は公卿衝重に据えられ、これに諸城の諸組の頭たちが左右に並びただただ畏まっている中。毛利元就、隆元親子は鎧を召して、床几に腰を据えます。その左右に平佐源三郎が太刀を持って控え、その前方に回神藤十郎が弓矢を持って控えていました。

元就の右やや前にて陣貝を膝に乗せるのは、市川式部少輔。市川の右手には太鼓があり、赤川十郎左衛門がバチを手にして畏まり、また床几の右手には、粟屋孫次郎が手拭を扇に乗せて待機。その少し前に秋山隼人が御団を持って膝をついているという、物々しい雰囲気の首実検でした。

元就は床几から立ち、鞭を手にとると、

「貴殿が義隆公に叛逆したのが悪かったのだ。これも天命、恨むなよ」

と言って、

ぺーん、ぺーん、ぺーん、

と三度、陶晴賢の首に向けて鞭を振り下ろしました。その後公卿衝重から首を引きずり落とし、「拾いおけ」とそれを陣僧に拾わせました。たとえ死んでも敵将は敵将であった、と思わせられる話です。

あえてひとつ突っ込むならば、お前も一緒に裏切ったんとちゃうんか、というところでしょうかね。