隆信の母・慶誾尼

さて百部賢兼の妻の話が出てきた所で、もう一人九州の、龍造寺家の女傑の話をしましょう。龍造寺隆信の母、慶誾尼です。

彼女は龍造寺16代当主胤和の長女として生まれ、分家の周家に嫁ぎ隆信を産みました。ですがその後、本家一族が謀略により殺害され、息子の隆信が当主となります。この時未亡人となった彼女は出家し、慶誾尼と名乗りました。

分家出身で本家にはまだ敵が多い息子を補佐して、慶銀にはよく働きました。隆信も母親には頭が上がらなかったそうです。この時慶誾尼が隆信に必要と思ったのは、優秀な補佐官です。そしてそれは身近にいました。隆信の従兄弟筋に当たる、鍋島直茂です。

当時妻を亡くしていた直茂の父・鍋島清房に新しい妻を迎えた方が良いと必死に説き伏せ、清房もその勢いに押されて会う事を約束。

しかし顔合わせの時、やってきたのは慶誾尼本人でした。清房は恐い恐れ多い事ですのでと必死に辞退しようとするが、あれよあれよと言う間に二人は結婚。これにより直茂と隆信は義兄弟となり、直茂はその後、隆信によく尽くしていきます。隆信が島津に敗れた時、直茂を後継者に推したのもこの慶誾尼でした。

しかもこの慶誾尼、島津家相手に凄い事もやらかしています。島津家の四男・家久が隆信の首を持って降伏勧告に来た時、「さような縁起の悪い敗将の首などいらぬ!それを持って薩摩に帰るがいい!}と追い返したそうです。

さてはて、やはり九州の女性は女傑が多い・・・