五龍局

さて前回名前が出てきた元就の娘で、宍戸隆家に嫁いだ五龍局(ごりゅうのつぼね)について少しばかり触れていきたいと思います。

さてこの五龍局、毛利元就と正室・妙玖夫人との間に生まれた娘です・生年ははっきりとしてはいませんが、毛利隆元の妹で吉川元春の姉、特に弟の元春とはよく激しい喧嘩をしていたという、かなり気の強い女性であったと言います。実はこれは元就夫婦にはもう一人娘がいましたが、これは人質先で殺されてしまいました。最初の子を失った二人は次の娘を溺愛して育てたので、このように勝気でややキツイ性格の女性になってしまったようです。特に元春だけでなくその妻との仲も険悪で、元就の子供たちにあてた手紙の中でもそのことを窘められるほどだったとか・・・・・。

因みに正式な名前はこれも伝わっておらず、五龍局は通称です。嫁いだ宍戸家の城が五龍城であったことから、五龍姫、もしくは五龍局と呼ばれていたようです。たいへん猛々しい呼び名だと思いますが、もしかしたら彼女の性格をよく表していた名前だったのかも?

夫、隆家との夫婦仲については分かってはいませんが、嫁いだ後から隆家は毛利家によく尽くしているところを見ると、悪くはなかったのでは?と思います。もしかしたら気の強い妻をうまくいなしていたのかもしれませんね。

婚姻政策

さて夜半まで語り合った二人ですが、途中元就がこのような事を言い出しました。

「あたなのご嫡子、隆家殿には未だにご縁組も、結婚の約束をしたものも無いと聞いております。そうであるなら私の娘に年齢も相応なものが居りますので、よろしければ娘を宍戸家に差し上げたいと思っているのですが、これを奥方とご相談為されてご了承頂けるのなら、私も本懐に思うのですが」

元源はこれを聞いて大喜びで、

「さても御年相応なご息女がいらっしゃるか!これは両家にとっても幸いなことです!」

と、早速奥方のところに行って報告し相談をし、その上で奥に元就を呼び込んで、
親同士相対した上でこの縁談を結びました。双方祝詞を仰せられるなど、その喜びは限りなかったといいます。

その後、元就は語表にて朝食を食べて、今しばし語り合いなどをされた後、自身の居城に帰って行ったと言います。こうして元就の娘、五龍局は宍戸隆家の元へ嫁ぐことになったのでした。

しかしこの話の何が凄いと言えば、婚姻を決めるのに「奥さんとも話し合って決めて下さい」と態々いう事です。この時代の結婚と言えば家の事で家庭の事ではないのですが、こう言われたら奥さんも納得するし嬉しいでしょうね。元就公、根回しも凄いと言うところでしょうか。

まぁ嫁がせた娘がちょっとアレですからね・・・・。根回しは必要だと踏んでおいたのかもしれません。娘のためにも。

毛利元就、飛躍する

弟を誅殺し、尼子家との関係を切って大内家と結んだ毛利元就。

彼はその後も反乱を企てている家臣らを数名処罰するなどして、内政にも力をあ入れて毛利家の体制を盤石化していきます。この最中、人質に出していた長女を失うなど知来時期もありましたが、27歳の時に待望の嫡男であった後の毛利隆元を授かったのでした。その後元就はこの隆元を大内家へ人質に出して、大内家との関係を良好に保つべく奮戦しています。(その後、如何に隆元が大内家で大切にされたかは過去の大内義隆の記事なども参考にして下さい)

その後、元就は隆元と長女の母であり、正室・妙玖夫人との間に五龍局、吉川元春、小早川隆景などの優秀な子供たちを授かりました。因みに妙玖というのは彼女の名前ではなく、法名です。ですので本当の名前は玉か久だったのではと言われていますが、真相は不明です。昔は女性の名が多くの場合は残っていない事が多いのです。

元就と妙玖夫人は当時では珍しくもない政略結婚でしたが、その夫婦仲は非常に良かったものとされています。元就は妙玖夫人の在命時は決して側室を置くことがなく、また子供たちにあてた手紙の端々で亡き妻との思い出を語ったりしています。このような経歴からか、その息子たちもまた、側室をもっていなかったという戦国時代では珍しい家でした。

あの謀神と名高い毛利元就が愛妻家というと、何だか可愛らしく思えてきてしまいますね。