乞食若殿

毛利元就は安芸の国人領主・毛利弘元と福原氏との間に次男として誕生しました。幼名は松寿丸。これは黒田官兵衛の子供、黒田長政と同じというマジック。(あんまり関係ない)

毛利家の先祖は朝廷や鎌倉幕府に仕えた政治官僚で、軍学者でもあった大江広元です。大江氏は源氏平氏にも負けず劣らぬ名門なのですが、その一派である安芸毛利家は室町時代には衰退して、安芸の小領主という立場にまで落ちぶれていました。しかも毛利家は当主の夭折や急死が相次いでいたため重臣達が強権を振るい、横領や恣意的政治が横行するなど毛利家家中は大変な事になっていたのです。

因みに元就の祖父・豊元、父・弘元、長兄・興元ら全員が20代~30代で夭折しています。この若死にの連鎖により、家臣の中には毛利家が呪われていると思う者達がいたようです。

さて明応9年に幕府と大内氏の勢力争いに巻き込まれた父の弘元は隠居を決意。嫡男の毛利興元に家督を譲り、幼い元就は父に連れられて多治比猿掛城に移り住みました。翌、文亀元年には実母が死去し、松寿丸10歳の永正3年に、父・弘元が隠居してから逃げるように飲むようになった酒が原因による酒毒が原因で死去。

元就はそのまま多治比猿掛城に住んでいましたが、家臣の井上元盛によって所領を横領され、城から追い出されてしまいます。この境遇から元就は「乞食若殿」と貶されていたといいます。いやはや、あの謀神にもこのような過去があったとは驚きですね

この困窮した生活を支えたのが養母であり、父の継室であった杉大方で、元就はこの杉大方の影響を受けて育っていく事になるのです。