元就の当主就任

さて何度か書きましたが毛利元就は次男であり、家を継ぐ立場ではありませんでした。ですが兄の子であり、当主であった甥の毛利幸松丸が九歳という早さで死去してしまったので、毛利家は後継ぎがいなくなってしまったのです。元就は分家の人間とはいえど、毛利家の直系男子。家督継承の最有力者でありました。家督を継ぐどころか成長するまでにも色々な苦労があった元就ですが、多くの戦でその才覚を見せつけたことも周囲を納得させられる材料となったのではないかと思われます。

しかしだからといって何のもめ事もなく円満に元就が後を継ぐことになったわけでもないのです。毛利家内でも家督継承については色々揉めたらしく、この元就の家督相続に際して、重臣達による「元就を当主として認める」という連署状が作成されています。毛利と言えば今ではすぐ名が出てきそうな毛利元就ですが、実際には色々な苦労を経てその座に就いたのです。

さてここで一人の人物を紹介しましょう。彼の名は相合元網。元就の異母弟です。彼は元就と共に有田中井手合戦で初陣し、元就に劣らぬ武勇を示して「今義経」とも称えられた毛利一門の若きエースです。今義経ってほめている名前か?と問いかけたくなるがそれはまぁおいておきましょう。

元就と元網は母親こそ違う兄弟ですが、とても仲が良かったそうです。そう、元就が毛利家を継ぐまでは・・・・。