名人久太郎・その所以

今回は堀秀政が、名人久太郎、と呼ばれるに至った逸話をご紹介します。

さてそれはある日の事である。堀秀政の陣で、荷駄奉行と荷を運ぶ者達の間に争い事が起こった。両者の言い争いの発端は荷が重すぎる、そうではないという荷の重さについての言い合いである。これを聞いた秀政考えて、実際にその荷を持って一里の道を往復して帰ってきた。そして荷駄奉行をその後禅に呼び出した。

「運び手達がこの荷物は重すぎるという事は全く持って道理である。自分はあの者達より体格も良く体力もある筈であるが、この荷を持って一里を歩く事が出来なかった。これを運び手達に運べという事は無理がある事である。荷を作り直すように」

とお達しを出した。

そしてまたある日の事である。秀政は軍勢が移動する際に、自分の後ろに旗差の者達がいつも付いてきておらず遅れている事を不思議に思っていた。そこで秀政はまず考える。そして実際に自分の馬の後ろを歩いてみた。

「成程、自分は足の速い馬に乗っていて、彼らが遅いと勘違いをしていたのか」

そして家中で最も遅いと言われる馬に乗り換えると、旗差の者達は遅れる事も無く付いてこれるようになったと言われている。

このように堀秀政は何事につけてもまず考え、自ら実行して確かめていたから名人久太郎と呼ばれるようになったと言われています。名人という呼び名の陰には、然るべき行動があったというお話です。


2014年3月7日 名人久太郎・その所以 はコメントを受け付けていません。 新着