小領主からの脱却と小早川家への養子

着実に力をつけていく毛利元就は尼子家より離れて大内方になっていきます。それを懸念した吉川興経から尼子家との若いすべく斡旋が行われますが、これは尼子家の方から破談にされます。息子、嫡嗣隆元を大内家への人質と出す元就。

そして1542から1543年にかけて、大内氏の尼子討伐の戦が行われることになり元就もこれに従軍します。これがあの第一次月山富田城の戦いになるのですが、前述した吉川興経らの裏切りなどもあり大内軍は敗退。元就もあわやという状況にまで追い込まれますが、渡辺通らが身代わりとなって討ち死にして九死に一生を得ることになります。これ以後、じわじわと尼子、大内家の安芸国内への影響力は低下し始めます。

これこそ毛利家の躍進の好機。力をつけていっていた元就は小領主から脱却し、大名たちの顔色伺いをしていた生活から抜け出そうと試みます。城を家臣に奪われて住むところを無くし、乞食若君と呼ばれて蔑まれていた辛苦の日々が元就を成長させ、逞しくしていったのでしょうね。

そして元就は三男・徳寿丸を小早川家の養子に出す決意をします。この養子に出す経緯についても色々なことがあるのですが、それはまた次回から詳しく解説していくことにしましょう。