少弐氏討伐

大内義隆は父の後を継いだ後、まずは勢力の拡大を目指します。

そして享禄3年、1530年からは九州に出兵し、北九州の覇権を豊後の大友氏や筑前の少弐氏らと争いまじめます。幼い頃からのもり役でもあった家臣の杉興連や陶興房らに軍を預け、少弐氏攻めを開始します。その一方では肥前の松浦氏を従属させて、さらに北九州沿岸を平定して大陸貿易の利権を掌握しました。しかし杉興連に行なわせた少弐攻めでは、少弐氏の重臣・龍造寺家兼の反攻にあって大敗を喫してしまうのでした。この戦いは以前にも説明した、「田手畷の戦い」ですね。そうあの鍋島さんちの人達が龍造寺家のピンチに熊になって暴れたさっそうと現れたあの戦いです。

さてその次の戦は天文元年、1532年の事。今度は少弐氏が大友氏と結んで侵攻してきました。まともに戦っても勝ち目は薄いと義隆は学んでいたのか、この戦いで義隆は長府に在陣し、北九州攻略の大義名分を得るために大宰大弐の官職を得ようと朝廷に働きかけます。今度の戦は買収作戦です。搦め手で勝利をつかもうと奮戦しましたが、この時は朝廷への働き掛けは失敗したのか官職は得られないままでした。

しかしその後は調略により少弐家より龍造寺家を離反させるなどして少弐家の弱体化を図っています。