戦の終結

北ノ庄城に逃れた勝家でしたが、その後前田利家を先方としたお前どの面下げて秀吉の軍勢に包囲され、翌日にお市の方らと共に自害をしました。佐久間盛政は逃亡後捕らえられ、秀吉の配下になる事を拒みこちらは斬首。

織田信孝は兄、信雄により岐阜城を包囲され降伏。その後兄の使者により切腹を命じられて、こちらもまた自害しました。滝川一益はさらに一ヶ月篭城し続けるも、ついに開城。出家し、丹羽長秀の元、越前大野に蟄居。織田四天王として最後は物悲しいものでした。

こうして賤ヶ岳の戦いは終わりを迎えました。敗者には然るべき報いがあるものですが、やはりこうして並べてみると何処となく寂しく、悲しく感じてしまうのが現代を生きる私達ですね。因みに前回も書いた、前田・長盛・不破の武将達の撤退に関してですが、もしかしたら勝家の策略で三名が和議を結びに来た際の、秀吉の打診だったのかもしれません。そう思えば正に、戦いは合戦前から始まっていたのでしょう。あの勝家の策略が逆に利用されていたとなれば、秀吉という人間の凄さは計りしれませんね。

この後、秀吉は信長が構想を練っていたとされる大阪城の築城に取り掛かり始めます。夢物語かと思われた秀吉の天下は、もうそこまで実現可能なくらい近付き始めているのでした。