暴風の中の奇襲

厳島の戦いでは、天候までもが毛利軍に味方していました。戦が始まるも、暴風雨が吹き荒れました。これにより陶軍は奇襲、襲撃は無いと油断していました。

そこにやってきた毛利軍による奇襲です。暴風雨に紛れ、密かに厳島に上陸していた毛利軍3000が厳島の狭い平地に固まっていた陶軍を攻撃。 毛利軍が暴風雨を突破してまで襲撃してくるなどとは夢にも思わなかった陶軍は、突然の襲撃によってたちまち指揮系統を崩壊させて潰走しました。この時晴賢自身も危険に晒されたため、本陣を捨てて逃走しています。晴賢は厳島を脱出して再起を図ろうとしましたが、脱出用の船は既に兵達によって乗り逃げされるか、毛利軍に味方した村上水軍の手によって沈められてしまっていました。いくつもの要因が重なって晴賢は厳島の戦いで敗北しましたが、その一番の原因は毛利軍を甘く見ており、事前に入ってきた情報を鵜呑みにして翻弄されてしまった事だと思われます。

さて観念した晴賢は、大江浦にて自刃。享年35歳。

介錯は忠臣だった伊香賀隆正が務め、その後隆正は毛利軍と差し違えて戦死しました。 晴賢の首は、草履取りだった乙若という少年が岩場に隠したが、毛利軍によって捕らえられたために、隠し場所は程なく判明しました。西国一の侍大将、陶晴賢のあっけない最期でした。


2014年5月24日 暴風の中の奇襲 はコメントを受け付けていません。 新着