清州会議

今回は再び歴史を追いつつ、清州会議に場を移しましょう。

清州会議は信長の死後、織田家の後継者を決めるべく行われた会議の事です。ここで後継者として名が挙がったのが、信長の三男である織田信孝と信長の嫡男である織田信忠の嫡男(ああややこし)・三法師です。

ですがこの三法師、血流だけを見れば織田家の嫡流、即ち織田家の世継ぎとして相応しい立場ではありますがこの時なんとまだ三歳児。幼児じゃねーか!

もちろんこれは秀吉の策略。まだ幼い三法師を世継ぎに仕立て上げ、自分が織田家の実権を握ろうという企みだったのでしょう。ですがこんな下心スッケスケの状況にも拘らず、織田家の重鎮である柴田勝家や丹羽長秀らは秀吉の要求を飲む事に承諾せざるを得ませんでした。事前に根回しをやっていた秀吉の有利に会議は進められてしまったのです。まさにご利用が計画的

その後、三法師は一応織田家を継ぐ事は出来たものの、織田家の実権は実質的に秀吉に握られて、あっちいきこっちいきさせられ、最後は関ヶ原の後改易を喰らってお終いという最後…最後まで振り回され、利用された終わり方でした。

では次回はこの清州会議の背後に何があったのかを、ご紹介しましょう。秀吉の根回しと、本能寺の余波を喰らった丹羽長秀、柴田勝家の二方、織田家重鎮の二人。その背後に何があったのか。