白林山の戦い

さて前回では岩崎城の丹羽氏重の挑発にまんまと乗せられた池田恒興勢。城攻めに時間を費やしただけでなく、やや被害も出てしまい一行の進軍も遅くなります。羽柴秀次もこの後軍を待つためしばし動きが止まります。

その背後に迫るは徳川陣。こう考えると岩崎城は落ちてしまいましたが、丹羽氏重は徳川方にとってとてもよい働きをしたのですね。徳川家ではこんな話が追いように思えます。(因みに氏重、この時16歳です)

羽柴軍は先方が挑発に乗ってしまった先方隊が池田恒興隊、最高峰にいたのはこの軍の総大将である秀吉の甥、羽柴秀次勢です。そこに突如として襲いかかるは徳川方の軍。この時先の戦で城を枕に討ち死にした丹羽氏重の兄・丹羽氏次もこの軍に同行していました。

おそらく気の緩みもあった中、背後を取られていきなり現れた徳川方の奇襲、混乱の中にダメ押しのように側面から榊原康政率いる隊が激しい銃撃を打ち寄せます。この時羽柴秀次は自身の馬を失い、共の馬を借りてほうほうの体で辛くも逃げ出しました。この際に彼を逃がすため、木ノ下一族が幾人も討ち死にしたと伝えられています。

この戦の名が白山林の戦い。羽柴方、特に羽柴秀次らにとっての手痛い敗戦となった戦です。