謀神の初陣

さて父親も母親も早くに亡くしてしまい、兄は京都に上がって、城は部下にとられて…乞食若君と呼ばれるまで落ちぶれていた毛利元就。雌伏の時代を生き抜いた彼も、ようやく初陣を果たします。その戦いの名は有田中井手の戦いです。

有田合戦とも呼ばれるこの戦いは、永世14年に起こった戦いであり、この頃中国地方で力の有った尼子氏の援助を受けた武田元繁が吉川氏の居城であった有田城を攻めた事が発端の戦いでした。この武田氏の進行も、安芸国旧守護の勢威回復を目指していたというのが通説となっています。元々大内氏の配下であった武田元繁ですが、実はこの当時、かの大内義興氏は上京中。つまり主の不在時期に独立を画策したものと思われます。

折しも毛利家は元就の兄が死去し、家中は混乱を極めていました。その跡継ぎの幸松丸は2歳。後見人の元就もまだ20歳です。周囲のこのような状況も、元繁が独立を狙って決起した理由の一つでしょう。

武田元繁についてはまた詳しく触れていきたいと思いますが、この時元就は20歳。要するに20歳で初陣を果たした事になります。その後結婚をして、27歳に長男隆元(それまでに女子一人)が産まれている事を考えると、戦国時代では珍しく成人も結婚も遅かった人物です。毛利元就という人物は大器晩成型の人であったのかもしれませんね。