近江柳ヶ瀬、木ノ本に布陣

さて3月、勝家は前田利家、佐久間盛政ら3万の軍勢を率いて近江国柳ヶ瀬に布陣。一方で滝川一益の長島城を包囲していた秀吉は織田信雄と蒲生氏郷を残し5万といわれる兵力を率いて木ノ本に布陣。ですが双方すぐ打って出ることはなく、暫くは陣地を構える事が主体でした。その後、戦線は膠着し始めます。

余談ですが、この陣には官兵衛も共にいたようです。この時の柴田軍の猛攻は凄まじいものだったようで、我らが官兵衛もあわや絶体絶命かと思われる事態に陥りましたがそれはまた別のお話で。

この時秀吉は一益と勝家という二方面を相手に戦うという事態に追い込まれていましたが、そこで織田信孝が再びこれに合わせて挙兵。秀吉は勿論これを放っておく訳にもいかず、そちらにも兵を割かなければならなくなりました。この時秀吉の敵は三方面。追い込まれた状況です。これを見た勝家は陣を動かし、秀吉軍に猛攻をかけます。

先方は佐久間盛政、大岩山砦を守っていた中川清秀はこの勢いに耐え切れず陥落、清秀はは討死。さらに岩崎山に陣取っていた高山右近の隊を攻撃し、此方も抑えきれず木ノ本の羽柴秀長の陣所まで逃れました。この成果を得て勝家は盛政に撤退の命令を下したが、再三の命令にもかかわらず盛政はこれを拒否、大岩山などに軍勢を置き続けたとあります。

さてここまで見れば柴田の勢いは凄まじいものですが、一体これからどうなるのか。

2014年3月3日 近江柳ヶ瀬、木ノ本に布陣 はコメントを受け付けていません。 新着