西牟田家周と六五郎橋2

水神様のご託宣をうけた神主はこう答えました。

「水神様は、川に杭打つことに怒っておられます。鎮めるには人柱をたてるしかないでしょう」

ここで六佐衛門は決断を迫られます。人柱という犠牲は避けたいが、もし川が反乱すれば工事は続ける事が出来なくなってしまいます。そうすれば迫ってくる大友軍から城を守る事は不可能でしょう。そうすれば更なる被害が出てしまう事でしょう。

主、民百姓、その家族までの人命を救うため、六佐衛門は自らが犠牲となって人柱になる事を決意しました。そして六佐衛門は祈りを捧げ、白装束に身を包み川にその身を捧げました。そしてその六佐衛門の後を、捨て子だった所を拾われて郎党となっていた五平も追うように川にその身を沈めたようです。

その翌日、大雨はやみ川の増水も免れました。奇跡的に工事は間に合い流石に道雪も城島城を落とす事が出来ず、別の方面に転身していきました。六佐衛門と五平はその命でもってこの土地を救ったのです。

家周と村人達は感謝を込めて祠を建て、樽橋六佐衛門と五平の名を合わせて「六吾さん」と呼んでお祭りをしてその話を語り継がれました。それは江戸期から現在まで守り続けられ、昭和の時代にそこに出来た大橋には住民の希望により「六五郎橋」と名付けられました。

名を変え姿を変え、今もその土地を六吾さんと六五郎橋は守り続けています。