小寺政職の痛恨のうっかりミス

さて、小寺政職。官兵衛の元主君になる人物です。今回はこの人物について少し触れていきましょうか。

小寺政職は赤松家の家臣小寺則職の子として生まれた人物です。主君赤松義村が浦上村宗に討たれると、彼の子を伴い細川家を頼ります。後に浦上村宗を討ち果たして赤松家を見事復興しますが、官兵衛の祖父や父親を登用していき勢力を付け過ぎた事から逆に赤松家と対立する事になっていきます。戦国時代は物悲しいものです。

後に官兵衛に姪と結婚させて姓を名乗らせ、官兵衛の最初の主君になります。最初は織田家と対立していましたが、官兵衛の説得もあって織田家に降伏します。ですがその後、小寺政職は痛恨のうっかりミスを行います。

荒木村重の謀反に追従して別所長治らと共に織田信長から離反してしまいます。この際にも官兵衛からの説得があったようですが、今度は耳を貸そうとはしませんでした。その後、羽柴秀吉らに攻撃されて今度は敵対していた毛利家を頼って逃亡。この際に官兵衛は名を黒田に改め、織田家の一員として迎え入れられています。

その後毛利家を頼るも、小寺政職は毛利家に受け入れられる事はなく、その最後は備後の地で寂しいものであったと伝えられています。歴史にもしはありませんが、再び官兵衛の説得に耳を貸していたら、どうなっていたでしょうね。

さてお次は荒木村重の事についても触れていきましょうか。

 


2014年2月15日 小寺政職の痛恨のうっかりミス はコメントを受け付けていません。 黒田官兵衛