秀吉二度目の大返し

佐久間盛政の猛攻に、賤ヶ岳砦の守将・桑名重晴も撤退を開始。このまま柴田軍が秀吉の出城に攻めよせるのも時間の問題。最前線にいた官兵衛も覚悟を決めます。その頃、時を同じく船にて琵琶湖を渡っていた丹羽長秀も進軍を部下の反対にあいます。だが長秀は「機は今を置いて他に無し」と判断、進路を変更して海津への上陸を敢行した事で戦局は一変しました。

長秀率いる2000の軍勢は撤退を開始していた重晴の軍勢とちょうど鉢合わせするし、合流。そのまま賤ヶ岳周辺の盛政の軍勢を撃破し間一髪の所で賤ヶ岳砦の確保に成功します。いやはや、偶然なのか米五郎佐こと丹羽長秀の読みが当たったのか…恐ろしや。

そして秀吉もまた大岩山砦の落城を知り、軍を木ノ本に向けます。この時、14時に大垣を出た秀吉軍は木ノ本までの丘陵地帯を含む52kmを僅か5時間で移動。正に秀吉人生で二度目の大返しというところでしょうか。この時、配下である石田三成によって街道に松明が点けられ、食事の補給個所までも用意させられていたのでこの大返しが成功したという逸話も残っています。

盛政は秀吉の帰還前に砦を落としたかったのでしょう、ですがこの秀吉の帰還に驚いた盛政は撤退を開始。しかし翌日に帰ってきた秀吉らの大軍に強襲されます。盛政は奮闘、更に柴田勝政の救援、これにより秀吉は柴田勝政に攻撃対象を変更、この勝政の軍に盛政が逆に救援と、両軍は激戦。凄まじい戦いが繰り広げられますが、ここで予想外の事態が引き起こされます。

さて、賤ヶ岳の地に起こった予想外の事態とは何なのでしょうか。

 

 

2014年3月3日 秀吉二度目の大返し はコメントを受け付けていません。 黒田官兵衛