飛脚健脚・中国大返し

さて有名な中国大返しですが、実際にどのくらいのスピードであったのか。

秀吉、官兵衛のいる備中高松から摂津尼崎まで約5日で到着したとされています。その間の距離はなんと約210kmにも及ぶ長距離。1日30~40kmほど行軍した事になります。新幹線も車も無い時代、徒歩での移動が主でしたのでこの速度は尋常ではありません。

一説には戦国時代の馬は人が乗ると徒歩より遅かったともありますのであしからず。

さて、毛利軍が撤退しだしたので秀吉も急いで撤退したい所ですが、秀吉の不安は毛利の追撃。ですがそこは我らが官兵衛「毛利の追撃は堀を崩さねば行えず、堀を崩されたら起こる濁流により追撃は出来ない。また、毛利の小早川隆景は信頼できる人物なので追撃はない」と秀吉を説得。それに安心した秀吉は官兵衛に殿を任せ、凄まじいスピードで退却を行い始めます。

そして姫路の城につくなり城の金庫から有り金すべてを兵士に分け与え、兵の士気上げを行ったそうです。もしかしたらこれも官兵衛の入れ知恵によるパフォーマンスだったのかもしれませんね。

こうして見事秀吉は明智光秀を打倒して信長の後継者たる地位を固めていくのですが、その話はまた別の機会に致しましょう。

 

2014年2月16日 飛脚健脚・中国大返し はコメントを受け付けていません。 黒田官兵衛