三国鼎立と日向侵攻と・・・

さて九州は大友家、龍造寺家、そして島津家の三大勢力が並んでいる状態になります。中国の三国志でもあるように、各々の力が拮抗している状態、いわば「三国鼎立」のようなものですね。しかしこの状態は長く続いた訳ではありません。その拮抗状態は、意外な事にかなり早くくっずれていくのです。

島津家との戦いで滅亡してしまった日向の大名、伊東義祐を覚えているでしょうか?彼は島津家に家を滅ぼされた後、友好関係にあった大友家を頼って落ち伸びていました。そして島津家はかつての伊東家領地であった日向の有力勢力をどんどん取り込んでいきます。勢いに乗っている島津家につく者達は多く、ついに大友家の本拠地・豊後と日向の国境沿いの小勢力達までもが島津家の傘下に入ろうと動き出していきます。

このままではいずれ豊後の諸勢力も島津家になびく者が出るかもしれません。伊東義祐の日向奪還の願い出もあり、大友宗麟は大軍を率いて島津軍と戦うために出陣しました。それは伊東義祐の要求である日向奪還とは別に、大友宗麟の悲願でもある「神の国」の設立の為という野望を秘めていたのです。この頃特に大友宗麟のキリシタン信仰は深いものになっており、日向の地にそのキリシタンの王国を作ろうと考えていたようです。