九州北部の勢力

さて南九州では日向の地を手に入れ、相良・阿蘇家を手に入れ、滅ぼした島津家。確実に島津家は領地を広げ、力をつけていきます。その頃北九州では何がどうなっていたのかと言いますと・・・。

その頃の北九州では、龍造寺家がその勢力を着実に拡大していました。北九州の有力大名と言えば大友家でしたが、大友家は耳川の戦いで島津家に敗れた事で有力な家臣を失い、各地の諸将が反抗を始めて大幅に弱体化していました。この隙を逃すような龍造寺家ではありません。早速大友領内へ侵攻を開始します。そして瞬く間に筑前・筑後の地の大友家に属していた勢力を従属させていきます。

そして肥前の西部を支配すると、南部を支配する大名家・木村家、有馬家をも従属させていき、肥後の北部までその勢力を伸ばしていき始めました。こうしてどんどん領地を広げて力をつけていった龍造寺家は、大友家に代わって北九州で大きな勢力と化していきます。

この頃の当主である龍造寺隆信は五週に島の太守とも呼ばれ、龍造寺家は全盛を極めていました。

さて、北九州では龍造寺家が勢力を伸ばしています。対して南では島津家が勢力を伸ばしています。こうなってくると当然ながら両家の国境はお隣さん同士になってしまうのは明白ですね。

正に北と南で一触即発こんにちわ!状態になってしまった龍造寺家と島津家。日に日にその緊張は張り詰めていくのですが・・・さて、どうなるのか。


2014年4月8日 九州北部の勢力 はコメントを受け付けていません。 九州