さて頼りの道雪もなくなってしまい、この時の大友家の状態は
大 ピ ン チ !
正にこれに尽きる。下からやって来るのはチート四兄弟の呼び名も高い島津家四兄弟とそれを取り囲む戦闘民族の優秀な家臣の皆さん。そこへやってきたのは後の豊臣秀吉こと羽柴秀吉。ここで大友宗麟、奮い立ちます!正直もっと早く奮い立て欲しかった
この頃秀吉は最早日の本の中央部分を支配しています。この秀吉に島津家との取り持ちを頼みました。これを受けた秀吉、大友家と和平を結ぶよう島津家に交渉を行います。が。
「秀吉とかどこの猿の骨だし」
「いきなり出て来て何様だっつーの」
「つーかチクってんじゃねーよ大友マジ〆る」
「いくさ!いくさ!いくさぁああああ!!!!」
※あくまでイメージでお送りしています。
島津家は大友家との和平を拒否します。だからと言って単独で島津家とぶつかっては敗北必死。大友宗麟は京に上がって秀吉と謁見。この際に南蛮渡来の貢物などをして秀吉のご機嫌を取り、大友家に味方して島津家と戦ってくれるように頼みこみました。貢物に気を良くしたのか、秀吉はこれを承諾。こうして秀吉の九州討伐が始まります。
ここからの戦は大友家VS島津家だけではなく、豊臣家VS島津家となっていくのでした。