島津、飛躍す

さて、前回言いました通り宴会での酒の席の言い合いは肥大化し、積っていた不満もお互いに爆発したのか肝付家と島津家の争いが始まります。

この時の肝付家の当主は肝付兼続。彼は城に戻るや否やすぐに合戦の準備に取り掛かります。対する島津では、島津貴久の父親である島津日新斎の耳にこの事が入りびっくり。日新斎はすぐに兼続の怒りを収めようとします。長年肝付家と島津家は友好関係を気付き上げて来ているので、日新斎としては当然の行動だったのでしょう。ですが既にこの説得は兼続には届きませんでした。息子であり現当主の貴久も合戦を決定。島津と肝付の合戦が始まります。

で、此処に加わるのが日向の大名伊東家です。伊東家は肝付家と友好関係にあったんですね。そして次に加わるのが肥後の大名相良家。相良家は伊東家と友好関係にあったので、この合戦に援軍を出す事を了承しました。酔っ払いの喧嘩が南九州を巻き込んだ戦乱になるとは誰が予想しただろうか・・・。

当初、戦いは肝付軍が優勢でした。貴久の弟の討ち死もあり、島津は敗退。防戦を余儀なくされます。ですが三年ほど経ち、肝付兼続が病に倒れ、二年後亡くなります。この後から島津は何とか盛り返し、一進一退の攻防を十年以上も続ける事になります。

そして十年後、遂に島津貴久もこの世を去ります。跡は嫡子であり四兄弟の長男である島津義久が継ぎました。ここから、島津は飛躍の時を迎えるのです。