担ぎ上げられた神輿の行く末・・・

さて前回の続きです。大友家はなんとか毛利家を九州より撤退させることに成功しました。そして重要拠点地には信頼のおける部下達を送り込む事で支配を盤石化し、北九州の統治を進めていきます。その端でひっそり払われたささやかな犠牲・・・そう、大内輝弘ですね。

大内輝弘は旧大内家の者で、大内家の崩壊後は大友家に身を寄せていました。その後、毛利家の本国を揺るがすために大内家復興の御輿として担ぎ出されていたのですが・・・担ぎ上げられた神輿はお役御免となれば、捨てられる定めでしかないのです。

毛利家の主勢力が本国に帰還した事により、大内輝弘の山口奪還はほぼ不可能となっていきました。帰国した毛利軍はそのまま大内を討伐、輝弘に加担した者達は徹底的に討伐されていきます。輝弘は何とか九州へ逃げのびようとしましたが、既に船は毛利方によって(大友軍が輝弘を見殺しにして逃走したとの説もあります)焼かれた後でした。

その後各地を逃走して回るも、どんどん迫って来る毛利軍。この頃は輝弘を見限ってその数を減らしていく大内軍。何とか抵抗を試みるも、迫りくる群を率いていたのは軍略に優れた毛利家次男吉川元春。壊滅した大内軍、輝弘はその後成すすべもなく自刃したようです。

はてさて、神輿は軽くて馬鹿がいいと歌ったのは一体誰であったのか・・・。


2014年4月6日 担ぎ上げられた神輿の行く末・・・ はコメントを受け付けていません。 九州