最後の酒

大友軍と島津軍の睨み合いは島津四兄弟の末弟・島津家久が守る堅城・高城の側で行なわれます。ですがこの睨み合いは、意外なほどのスピードで終了する事になりました。

大友軍内で起こった、武将同士の仲間我が原因です。

大友軍の軍師的役割だった角隅石宗は島津軍相手に慎重策を称え、後方の軍が到着するまでの交戦を控えるようにと、総指揮官であった田原親賢に進言。親賢もこの策はもっともだとそれを取り入れますが・・・大友軍の武将であった田北鎮周はこれを拒否。「敵を目前として戦わねば武将としての恥である」と主張してなんと一人で単身島津家に当たろうと自分の陣内で最後の酒盛りを始めてしまいました。しかもこの鎮周に影響されたのか、討死覚悟の最期の宴がそこらここらで催されてしまいます。

この島津のとの戦に大友軍の数多くの武将達が反対していた事は以前にも書きましたね。その為かこの時の大友家の武将の多くは、この戦を討死覚悟でやってきた者達が多かったと言われています。特にキリスト教徒で無い武将の多くにとっては、このキリシタン王国を設立するための戦は本意ではなかったのでしょう。戦に来る前から最後の茶会や、討死の別れ酒をする武将達も多くいたといいます。

2014年4月8日 最後の酒 はコメントを受け付けていません。 九州