木崎原の戦い

さてやってきました肝付軍に、島津ももちろん防御を固めて待ち受ける構えです。ですが肝付軍相手に軍を構えるという事は、伊東家・相良家同盟相手には少数の軍しかさばけないという事にもなります。

この時、伊東軍の人数は3000。ここに相良軍の援軍も加わって来る事も予想されています。それに対する島津兵はなんと300人。この時点で既に十倍の差が付いていますが、兵を率いるのは次男・武勇の義弘。後に日本だけでなく外国にまで名をはせる武将・島津義弘です。義弘は少数の兵を率いながらも臆することなく、最前線で伊東・相良軍を待ち受けます。

ここに九州の桶狭間、と呼ばれる木崎原の戦いが始まります。

さて伊東家の伊東義祐は人吉にいる相良義陽と密かに通じ、合戦に援軍を出す事の密約を交わします。そして深夜に伊東祐安を総大将として、伊東祐信らを対象にした青年武士団3000の兵が小林城を出立!翌日には軍は二手に分け、一方は島津義弘の居城飯野城を攻撃。もう一方は伊東祐信らが率いて義弘の妻子らが籠る加久藤城へ攻撃を仕掛けるべく進軍。この加久藤城は守兵が50名ほどしかいない手薄の城でした。

さてこの絶体絶命のピンチを島津義弘は切り抜けられるのでしょうか?桶狭間って言ってるんだから勝敗が分かるとか言っちゃだめ