本意でない戦

さて前回でも大友軍内は日向侵攻に関して家臣の間に温度差があり、それが原因で軍内に亀裂を生んでしまうのですが・・・。

討死を覚悟で戦に来た田北鎮周は陣内で討死の別れ酒となる宴会を催します。が、これにも色々な事情があり、士気の上がらない味方を鼓舞するため、自ら討死をする事を決めたという意見もあります。その他では主君命令とはいえ神社仏閣の破壊などの罰当たり行為への加担や、諫言を何度申し上げても聞き入れて貰えない主君への失望もあったのかもしれません。

そして今回の総指揮を取った田原親賢ですが、何故か一説には誰もが反対した日向侵攻に一人だけ賛成したので総大将になった、という説があります。キリシタンを嫌っていた田原親賢がそのような事を何故したのか分かりませんが・・・ともあれ、その件で既に田原親賢と田北鎮周の間には温度差と確執が生まれていたのかもしれません。

そして戦いが始まってからは大将である大友宗麟は出陣要請を拒否し、陣の後方に聖堂を作ってそこで日々勝利の御祈りを捧げていたという事もあり・・・大将が戦場にいない事で兵士達に不満を抱かせ、士気を下げる原因の一つにもなってしまったのでしょう。このような状況の中で、耳川の戦いは始まってしまったのです。