耳川の戦い

さて伊東義祐の願いでもある日向奪還をお題目に、大友宗麟が軍を起こして島津家と日向の地をかけて戦います。この頃、豊後では行き過ぎたキリシタン信仰でのトラブルが相次いでいました。そのため、別の土地に自分が夢見たキリシタンだけの王国を作りたかったのかもしれません。ですがこの日向侵攻は、家臣達の猛反対にあいます。

今は日向侵攻をしている場合ではない、内乱に備えて国内の統治を優先すべきである・・・と多くの家臣達が申し出ましたが、残念ながら既にこの意見を聞く状態に大友宗麟はありませんでした。遂に大友宗麟自らが総大将を務め、4万にも及ぶ大軍を率いて日向へと進行します。この時、宗麟は十字の旗を立てて移動して、通過点にある寺や寺院などを焼いていったと言われています。この事が後に自分達の首を絞める事になるのですが・・・。

さて、島津にももちろんこの大友軍の侵攻の報は届きます。大友軍は大軍、しかも北九州を統べる実力者です。生中の覚悟で相対しては敗北は必至。島津家も色めき立ち、大友軍へ対抗すべく準備を急ぎます。これは島津家の存続をかけた戦いであると判断し、各地から出来る限りの兵を集め始めます。

ここに、大友・島津の命運をかけた耳川の戦いが始まります。