龍造寺隆信の最期

龍造寺軍本隊が壊滅していく中、一方の山手の方では鍋島直茂と新納忠元が激突していました。この時鍋島直茂の名采配により、実は島津方の方が押され気味な状態にありました。ですがやはり新納隊も手強く、直茂は他の隊を救出には行けない状態にあったのです。

そして浜手では戦況の有利を見て、森岳城の本陣にいた有馬軍が出撃。伊集院忠棟の隊と合流して隆信の息子達の隊を壊滅させ、勢いのまま隆信本体に向かって押し出した形になっていました。

この時点で隆信率いる龍造寺本体は、家久軍の猛攻と撤退してきた先手の隊により大混乱。敗走する部隊は畷の為に散り散りの状態で、もはや軍と呼べる状態ですらありませんでした。そこに押し寄せる有馬・伊集院軍。優位だった鍋島隊も段々と敗走する味方の為に統制がとれなくなって行きます。

龍造寺本体では龍造寺筆頭と呼ばれた成松信雄が死を覚悟して隆信を稼ぐために奮戦を始めます。しかしその間に逃げようとした隆信でしたがこの当時隆信は肥満体すぎて馬に乗れず輿に乗って戦に出てきていました。その為目立ちやすく、最終的に輿持ちが逃走してしまったために島津家の川上中堅に切り捨てられ首を落とされました。

こうして沖田綴りの戦いは有馬・島津連合軍の大勝利に終わり、肥前の熊・龍造寺隆信もその最期を遂げました。この戦いで主力部隊を失った龍造寺家は、その後どんどんその力を失っていきます。