さて大内義隆がかなりの男色家で、宣教師フランシスコ・ザビエルにも激怒され罵倒されたという話は書きましたね。しかしその後、ザビエルの献上品に気を良くしたのか義隆は不況を認めたそうです。その献上品とは・・・。
なんと眼鏡なのです。
このザビエルが義隆に献上されたのが眼鏡の始まりと言われています。この時、ザビエルの配下が身につけていたこともあって、山口の庶民も見かけることがあったそうです。が、今まで眼鏡を見たことのない人々にとって眼鏡をかけた人間は恐怖の存在。
「こいつ目が4つもあるぞ!バケモンだ!」
と、噂されていたそうな。
この後眼鏡は徐々に浸透していき、江戸時代の頃には日本産の眼鏡も作られる事になります。しかし元々は西洋で開発されたものなので日本人にはどうしても馴染めないところがありました。その理由は日本人と西洋人の鼻の高さの違いにありました。
日本人は西洋人に比べ鼻が低いためレンズがまつ毛に当たってしまう、というもの。
同じく鼻が低いため眼鏡がずり落ちてしまうという問題には比較的早く気が付き、紐をつけて耳で支える方法を思いついたものの、このレンズが当たってしまう問題の解決方法である「鼻あて」を思いつくには義隆に眼鏡を献上されてから350年後、1900年代に入ってからのことです。
ひょんなとこから始まった戦国の眼鏡文化です。