今回の逸話は大内義興が将軍から「義興」の名前を授与された時のことです。
足利義尚の側近の有力者である金閣寺の主である亀泉集証が山口に赴いてきました。彼は大内氏館の庭で見たことのない木を目にして、物欲しげに眺めていました。あまりに気にしている様子なので義興は
「朝鮮から取り寄せたソテツというものです。上様が欲しいのなら献上しましょう」
と気を使ったのですが、これに彼は
「御所にもソテツくらいある。あまりに立派なので見入っていた」
と固辞しました。しかしこの後、院主の残した蔭涼軒日録に何度もソテツのことが記されている所を見ると、相当後々まで引きずっていたのではないでしょうか。意地を張ってしまったんですかね。そう思うと何だか可愛いようなめんどくさいような・・・。
さて実は当時ソテツは宮崎や鹿児島にはいっぱい自生していて珍しいものでもなく、朝鮮から取り寄せずとも硫黄取引のあった島津氏から容易に調達できたのです。しかし京都人には珍しいものであることを見越したうえで、献上品として箔をつけるために義興は朝鮮から取り寄せたという話をしたのでした。
ここで少し別のソテツの話もご紹介。
堺の妙国寺のソテツを織田信長が安土に移すと泣くので切りつけたら血が吹き出た、というちょっとおどろおどろしい逸話などもあるソテツ。
が、豊臣秀吉も徳川家康もソテツに興味を持ちわざわざ遠方から取り寄せています。なぜか権力者達が気に入って遠方に移されたソテツは現在国の天然記念物に指定されています。ソテツには時の権力者達を魅了する何かを持っていたのでしょうか?
九州在住な私にとってはあまりソテツは物珍しくも無いのですが・・・うーん、それとも手に入りにくいものほど欲しくなるという心理なのですかね。そんなソテツと権力者たちのお話です。