元就、一度目の隠居と吉川家へののっとり画策

愛妻・妙玖夫人を亡くした元就は隠居を決意。嫡男・隆元に毛利家の当主の座を譲ります。しかしこの時の隠居は形式だけのようなものであり、自分を毛利・吉川・小早川の上に立ついわゆる「大御所」として位上げしたようなものであったと言われています。この後も隠居とは仮のもので、毛利家の実権は元就自身が握っていたようです。

さて元就はここで妻・妙玖の実家である吉川家へ次男・元春を送り込みます。

当時吉川家当主だった吉川興経は新参の家臣団を重用していたために吉川経世ら一族や重鎮と対立が激しく、家中の統制ができなくなっていました。そこで反興経派は元就に、吉川国経の外孫に当たる次男・元春を吉川氏に養子にしたいと申し出たのです。これを元就は初め元春は子の無かった異母弟・北就勝の養子にする約束があるからと断ったのですが、吉川家の再三の要求に応じて元春を養子に出しました。この時に元就の頭に以後の両川政策があったかは不明です。

一方、吉川家当主の吉川興経は家臣団によって強制的に隠居させられていました。興経は吉川家家臣団との約束で吉川氏の領内に隠居させる予定だったのですが、元就は興経派らの動きを封じるため興経を深川に移しました。それでも興経派への警戒を怠らない元就は、吉川家の当主となった元春をなかなか吉川家の本城へ送ろうとはしませんでした。

 

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毛利家の雪合戦・若

さて今回は毛利家の逸話です。いつ頃かは分かっていませんが、嫡男の隆元が大内家に行っている間で、まだ次男・吉川元春と三男・小早川隆景が幼かったある冬の日のことです。

元就がふと、元春と隆景がそれぞれ4人の仲間を連れて雪合戦をしようとしている所を見かけました。ここで元春は息子たちがどんな行動をするかそっと物陰から伺うことにしました。其々五人ずつに分かれて戦うようです。

最初の合戦はあっという間に終わってしまいました。元春たちの組が雪玉をひたすら投げつけ、その勢いに隆景の組は負けてしまいました。しかし隆景は少し考えて、もう一度合戦をやろうと元春に持ちかけました。

見ていると今度は隆景組は3人しか攻めていません。元春組はその勢いに乗って5人で攻めかかり、人数に劣る隆景組は少しずつ後退していきます。ところがいきなり横から出てきた2人が左右から攻撃してきて、元春の組は驚き慌てます。隆景はあらかじめ2人を伏せて置いて、横合いから打ちかかるようにしておいたのです。この戦いは隆景の組の勝ちでした。

さあもう一回やろうという子供たちに元就は「両方ともが勝ったのだ、これ以上の戦いは無用だ」と言ったて二人を宥めたといいます。

元就は、「この子たちが成人したら嫡子の隆元を旗本として、元春・隆景を先鋒としよう。聞くところによると、北国は人気はあまりなく、ただ屈強であることのみをよしとして計略は少なく、南国は人や船の行き来が多く、うまく立ち回ることも必要だ。雪合戦のことを考えると、北国は元春、南国は隆景に任せるのがよいだろう」

これにより元春は吉川家に、隆景は小早川家に養子にやられ、毛利の両川体制が敷かれたといいます。

 

毛利元就、飛躍する

弟を誅殺し、尼子家との関係を切って大内家と結んだ毛利元就。

彼はその後も反乱を企てている家臣らを数名処罰するなどして、内政にも力をあ入れて毛利家の体制を盤石化していきます。この最中、人質に出していた長女を失うなど知来時期もありましたが、27歳の時に待望の嫡男であった後の毛利隆元を授かったのでした。その後元就はこの隆元を大内家へ人質に出して、大内家との関係を良好に保つべく奮戦しています。(その後、如何に隆元が大内家で大切にされたかは過去の大内義隆の記事なども参考にして下さい)

その後、元就は隆元と長女の母であり、正室・妙玖夫人との間に五龍局、吉川元春、小早川隆景などの優秀な子供たちを授かりました。因みに妙玖というのは彼女の名前ではなく、法名です。ですので本当の名前は玉か久だったのではと言われていますが、真相は不明です。昔は女性の名が多くの場合は残っていない事が多いのです。

元就と妙玖夫人は当時では珍しくもない政略結婚でしたが、その夫婦仲は非常に良かったものとされています。元就は妙玖夫人の在命時は決して側室を置くことがなく、また子供たちにあてた手紙の端々で亡き妻との思い出を語ったりしています。このような経歴からか、その息子たちもまた、側室をもっていなかったという戦国時代では珍しい家でした。

あの謀神と名高い毛利元就が愛妻家というと、何だか可愛らしく思えてきてしまいますね。

多々良川の戦い

さて立花山城をめぐっての毛利家と大友家の戦いですが、前記事を見て下さった方は「?」と思われる事でしょう。そうです、今回のタイトルは多々良川の戦いになってますね。これは多々良浜の戦いとなっているものの、実際には多々良浜より東にある多々良川であったのでこの多々良川の戦い、とも呼ばれているんです。ちょっとした戦国豆知識です。

まぁこうして多々良川の付近、両岸を挟んで大友家と毛利家のにらみ合いがスタートします。ですがこの時点での優勢は圧倒的に毛利家にありました。この時毛利方の狙いは立花山城の防衛であり、大友方と積極的に戦うつもりは毛頭ありません。ですが大友方はそうはいかない。何としてでも大友家の重要拠点である立花山城を奪還しなければならないのですが、その前にこの多々良川で兵士を無駄に消耗したくはありません。この心理状態が大友家と毛利家の戦いに影響してしまいます。

その上多々良川付近は当時干潟であり、攻める大友からすると攻めにくいのに守る毛利方からは非常に守りやすい地形でした。この為多々良浜の戦いではなんと18回の戦が行われるも、お互いにその消耗は少なく、悪戯に時間だけを消費するものとなってしまったのです。

 

九州

毛利家(また)襲来!

何とか秋月家を抑え込み、大友家の重要拠点地である立花山城を奪還した大友家。今度は南から迫りくる驚異、肥前の熊こと龍造寺隆信が率いる龍造寺軍を討伐するために軍勢を率いて大友宗麟が直々に出陣します。

しかしここでまたもや奴らが現れる・・・!

そうです。大友家の(ていうか大友宗麟)のトラウマ・毛利がまたもや九州に来襲。しかも今回軍勢を率いるのは毛利元就の息子である、吉川元春と小早川隆景の両名。毛利家両川が率いる毛利家の数はなんと四万以上にもなる大軍・・・これには大友宗麟も肥前侵攻をしている場合ではないと判断したのか、大慌てで群を返して毛利家との戦いを始めます。

が、毛利家の二本の矢はやっぱり強かった・・・(一本目は残念ながら既にお亡くなりになっています)北九州に現れた毛利軍は瞬く間に各地の大友軍の城を落としていきます。そして大友家の重要拠点である立花山城も(また)落とされてしまうのです・・・。

こうして再び劣勢の窮地に立たされることになった大友軍。再び立花山城を奪還するために軍を編成します。そこにはもちろん、大友家の名将立花道雪公も参戦。ここに毛利家と大友家の立花山城をめぐっての攻防、多々良浜の戦いが始まるのです。

 

九州

毛利家三本の矢の一本1

さて、前回申しました通り北九州の覇権争いの際に毛利家で何が起こっていたかをご説明しましょう。端的に言えば、毛利本家の嫡男である毛利隆元が急死したのです。

ところで毛利隆元とはどれくらい知名度のある武将でしょうか?毛利といえば三本の矢のお話が有名ですが、その三本の矢について詳しく知っている人がどれだけいるのでしょうか?特に毛利隆元という長男は、軍を率いて戦う事に長けた次男吉川元春と、調略をさせれば他に口を出す者がいない三男の小早川隆景、なんかもう色々凄過ぎてゴーイングマイウェイの父親毛利元就に囲まれて影の薄い人物です。

その毛利隆元が亡くなったのは非常に急でした。饗応を受けて後帰ってきてすぐに不快を訴え、すぐなくなったので毒殺だの何だのと噂が立っていますが真偽の所は不明です。この時代では分からなかった事でしょうが、食中毒の可能性もあります。個人的には食物アレルギー的な何かだと思っていますが、それはこの際置いておきましょう。

とにかく、悲しかろうが混乱しようが嫡男を失っても毛利本家は潰れる訳にはいきません。今まで隆元がやっていた事を家族全員で手分けして行うだけです。徴兵、調略、援軍交渉や資金繰りなどが主な仕事でした。

ですが、毛利家が本当に混乱したのはここからでした。

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本能寺を知った毛利家家中

前回の記事で語った清水宗治による見事な切腹が行われた日の夕刻、その情報は毛利家に届きました。「織田信長、本能寺にて明智光秀の謀反により切腹」。この情報に毛利家の人々、特に毛利家の二男である吉川元春は大激怒しました。秀吉にまんまと謀られ、大事な家臣を切腹にまで追い込んでしまったからです。

すぐさま講和を破り追撃すべし、と唱える元春を抑えたのは毛利家三男小早川隆景その人。「墨が乾くよりも早く約束を反故にしては不義理」と主張し、結果として毛利家は追撃を行う事はありませんでした。この辺は官兵衛の読み通りになりましたね。

この時隆景が追撃を避けたのは秀吉への義理であったのか、それとも秀吉に恩を売るためであったのかは定かではありません。ですがその後、秀吉はこの時の恩を深く感謝して隆景を五大老に取り立てるなど厚遇しています。その一方、この件で秀吉に深く恨みを抱いたのか、元春の方は早々に隠居。これは秀吉に会いたくなかったから、とも言われていますので、よほど嫌悪していたのかもしれません。

そんな毛利両川、吉川小早川ですが、黒田官兵衛とは長い友人付き合いがあり、中々縁深い人達でもあります。その件につきましてはまたその逸話の紹介の折にご説明いたしましょう。さて一方山崎の地で睨みあう秀吉と光秀、勝利者となるのは一体どちらか?

歴史見りゃわかるとか言わないよ!