島津日新斎・日新柱

さてあまりの悪ガキっぷりに坊さんに薙刀振り回して追いかけ回された島津日新斎。寧ろそこまでされるほどの何をやったんだと問い詰めたいが、そんな日新斎の教育に少しふれる事が出来るお話です。

前回の話を見れば分かるようにとっても悪ガキだった日新斎。だが結果的に何だかわからないけど褒められた前回とは違い、今回はしっかり捕獲されてお仕置きを受けました。それは柱に縛り付けられて説教を受けるというもので・・・うん、本当にそこまでされるほど何をしたんだという。これはお寺の教育が激しかったのか、日新斎の悪ガキっぷりが凄かったのか判断が難しい所でもありますね。

因みにこの柱、今もちゃんと現存しています。一時寺とともに焼失しましたが、お寺の再建された時に日新斎が縛られた位置にあった柱を日新柱と名付ける事にしたそうです。島津の歴代藩主はこの柱に接して育ちつつ、戒めとしたと言われています。現代でも伊作小学校の教育の戒めとして飾られており、町指定の文化財となっています。

因みに息子が柱に縛り付けられて説教を受けたと聞いた常盤夫人は「息子は良い師をえた」と涙を流して喜んだと言われていますので、もしかして家にいるころから母親の手に負えない悪ガキだったのかもしれませんね。

皆さんはお母さんやお父さんの手を焼かせて柱に縛り付けられたり、薙刀を振り回されて追いかけ回されたりしないようにしようね!

島津日新斎・幼い頃

さて母・常盤夫人により熱心な教育を受け、後になんやかやで本家を乗っ取る形で島津家をまとめ上げた島津忠良こと島津日新斎。彼は息子の島津貴久と共に「島津家中興の祖」と称えられています。そんな島津日新斎ですが、幼い頃は教育の為に母常盤よりお寺に預けられていたようです。上杉謙信もそうですが、この当時、言う事を聞かない子をお寺に預けて性根を叩きなおして貰う教育をして貰う事は良くある事です。

ですが上杉謙信同じく、島津日新斎も結構な悪ガキだったらしくお寺の僧達は手を焼いていたようで。

上杉謙信はあまりに手がかかり、何度説教をしても聞き入れないので一度預けた寺から返却されるという事がありましたが、こちらはもっと上を行きます。お寺の対応が。

まぁ悪ガキだった日新斎。勉強をさぼったり暴れまわったりしていたのですが、それを見たお坊さん、すっと手に取ったのは薙刀。

「この悪ガキどもが―――――!!!!!!!」

次の瞬間薙刀を振り回し子供達を追いかけ始めた。いやはや九州の坊さんはやる事が違うぜ・・・!まぁ泣きわめいて逃げる子供達。だが日新斎は逃げずに立っている。なぜ逃げないかと問いかけると「履物が無いから逃げられない。とってきてくれ」とのこと。

この言葉にお坊さんは「これこそ正に武家の子!」と感動したと言われています。アレー?

常盤夫人、我が子の為に

夫、舅と次々に亡くなってしまった島津家で、常盤は幼い我が子の代わりに島津の名代をします。息子の日新斎、忠良は幼さゆえにまだ当主として認められていなかったのですね。常盤は幼い日新斎に日々、帝王学をたたき込んだ事でしょう。その日新斎も、幼い頃は結構な悪ガキだったようです。

そこで常盤に思いもよらない申し入れが飛び込んできます。夫・善久の従兄弟であった相州島津氏・島津運久が結婚の申し入れをしてきたのです。運久はかなり常盤に惚れこんでいたようで、常盤を妻にしたいあまりに邪魔になった自分の正室を焼き殺してしまった、という激しい逸話も残っています。常盤は亡き夫に操を通すためか、これを一度は拒絶します。

ですが常盤も少し考え直して条件を付けて運久の結婚の申し入れを受ける事にします。それは「相州島津家の跡を、息子である忠良に譲ってほしい」という事でした。運久はこれを二つ返事で受け、常盤を妻にします。そしてその後、何の蟠りもなく忠良はその跡目を継ぎました。そして相州島津家と伊作島津家の合併が此処になりました。

その後、忠良、日新斎はこれを足掛かりに島津本家を乗っ取っていく形になったのです。常盤は島津家の建国の母という訳ですね。母は強し、です。

また常盤の出身である新納家も優秀な人材が多く、合併島津家となった後も多くの優秀な武者を出しています。

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南海の真珠

島津日新斎の母、常盤夫人は新納家出身の娘でした。常盤夫人は女性の身でありながら論語等の書物に通じ、南海の真珠と褒めそやされるほどの美貌を持った人物です。その常盤夫人の夫になったのが伊作島津家の善久でした。善久は婿として新納家に入り、夫婦は仲睦まじく過ごしていましたが、その日々は突如終わりを迎えます。

日向の国にあった城をめぐって両家は対立を激しくし、遂に実の父親とは戦えないと判断した善久は「伊作へ返るか、切腹を許して欲しい」と常盤の父・新納是久に申し出ます。それに対して是久は余計なトラブルを避けるため、善久の伊作への帰郷を許しました。

本来ここで常盤と善久は離縁して終わりだっただろう話ですが、常盤は善久との離縁を頑なに拒否。説得を試みようとする父是久に「夫婦は共にあるものです」と言い放ち、善久と共に伊作島津家へと行ってしまいます。娘の正論に父は何も返せなかったのでしょう。その後、常盤は伊作の地で待望の男児を産みます。これが後の島津日新斎ですね。この時が、南海の真珠夫人、常盤の幸福の絶頂だったのかもしれません。

ですがその二年後、夫の善久は配下の逆恨みで殺されてしまいます。そして追い討ちをかけるように義父の島津久逸も同族の島津忠興に攻められ、討死してしまいます。常盤は幼い子供を抱えたまま、嫁入り先で頼る人もいなくなってしまいます。

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