吉川夫妻の手紙・後

さて引き続き、吉川夫妻が息子・吉川広家に送った手紙の紹介です。この当時まだまだ若かった広家は現代で言えば不良というかちょっと突っ張っていたというか、当時で言えば「かぶいている」状況にありました。しかもそれだけではなく、ややわがままな性格でもあったようです。

広家は他家に養子に出ていたですが、領地が少ないと不満を漏らし、もっと広い領地を持つ家の養子に鞍替えしようとしました。しかし当たり前ながらそんなことが許されることなく毛利本家から待ったがかかり、広家はますます不満に思っていました。そんなむくれてしまったわが子へ、吉川夫妻が連名で手紙を送りました。

 

決して本家を恨んではならぬ。もし、これが承知できなければ毛利・小早川・吉川三家に対し敵心ある者の生まれ変わりであると看做す。

 

内容だけ見ると頑固親父がワガママな息子に怒っているようですが、実際にはもう少し行動を自重してくれよ、というフレーズのようなものであったそうな。

三男・広家は後に人質として秀吉のもとへ送られましたが、元春は後に頼んで返してもらい手元に置きました。手のかかる子供ほど可愛かったのかもしれません。その後、兄・元長が夭折したため、広家が吉川家を継ぐことになります。

手がかかる子供ほど可愛い、吉川夫婦のお手紙です。

吉川夫妻の手紙・前

さて夫婦仲がよく、優秀な子供たちを授かった吉川元春と妻である新庄局。そんな2人が晩年、我が子に当てた手紙が残っていますので少しご紹介しましょう。これは三男の息子・広家に宛てた手紙です。

 

武士は身だしなみをきちんとすることが大切だ。お前は気に入らないと思うが言っておく。今の流行を追いかけることは、武士の家に生まれたお前にはふさわしくないことだ。額をとにかく剃りなさい。そのうえで鬢をつければ立派に見える。

それをせずに、商人か乞食坊主か恵比須舞いのような格好をしているのは理解できない。親から見てこうすれば良いと思うことは、たとえお前が気に入らなくても、親孝行だと思って直してもらいたい。

お前は盃を目の高さ、鼻の高さまで上げて戴いていた。なるほどこれはちょっと見には粋に見えるがよろしくない。偉い人から戴いた盃は目の上まで捧げて鄭重に戴くように。

また、他人から敬礼を受けるときも目礼ではいけない。少し身を前にかがめて敬礼しなさい。

 

息子への忠告の手紙ですが、今の親が子どもに言うことと何だか似ていませんか?流行りを追いかけて不良になってきたわが子への説教というところでしょうか。口うるさいと言われそうだけど言って上げるのが親の役目、元春も人の親ですね。

元春の子作り

さて今回は前回に引き続き、吉川元春とその妻である新庄局のお話です。女性の名前は残っていないことが多いので、新庄局で統一したいと思います。

数奇な運命と打算により夫婦になった二人ですが、その夫婦仲は大変良かったといいます。毛利家の正室・妙玖夫人が産んだ男子には共通するのですが、三人とも側室を持ってなかったと言います。父親と母親がよほど仲が良かったのか、それとも生来の性格からだったのかはわかりません。二人の間には夭折してしまった子を含め、五人の子どもを授かっています。内一人は娘で、他の四人は男の子。中々に優秀な子供ぞろいだったとか・・・・。

さて下世話な話ですが、この子供たちの生まれた年と年代を見ていってみましょう。これには不思議な法則があります。

長男:元長1548年生まれ 前年に元春が妻を娶っているので結婚記念

次男:元氏1556年生まれ 前年に厳島合戦で勝利したので厳島記念

三男:広家1561年12月生まれ 同じ年の1月頃に長男の元服があったので元服記念

なんとまあ上手く出来上がったこと(笑)

大きなイベントがあるとホッとして子供を作る家庭だったのでしょうか?何はともあれ、夫婦仲が宜しくて結構ですね。

因みに家は長男が早世し、次男が養子に出ていたので三男の広家が跡を継ぎました。この経緯はまた、関ヶ原以降で説明したいと思います。

元春の嫁取り(尚、周囲への相談はナシ)・後

さて驚いたのは熊谷信直です。なんせ娘に対して縁談の申し込みが来たのですから。それも因縁ある毛利家の次男・吉川元春です。

信直「少し訪ねたいのだが、貴公の父上が我が家と戦の際に熊谷の前当主を討ち取ったことは知っておられるかな?」

元春「もちろん承知の上です。ですがご息女を妻に迎えたいのです。お願いします」

信直「・・・・その、うちの娘の噂はご存知なのだろうか・・・?」

元春「もちろん存じ上げています。その上で妻に迎えさせて頂きたいのです」

熊谷「なんと有り難い・・・・!分かった、しかし一度お父上にもお話を通しておいた方がよかろう」

こういった経緯で元春の嫁取りは成功しました。しかしこれには元就も驚いたのか、詫び状を書いて「元春は犬のような子ですみません。よろしくお願いします」と改めてお願いしています。

その後、元春の策略通りに熊谷家は毛利家とともに戦国動乱を戦いました。確執は水に流し、一度も裏切ることなく元春と吉川、毛利家に尽くしてくれました。余程嬉しかったのか信直は臨終の際に息子たちに「元春殿に尽くすように」とまで言い残しましたといいます。

そしてここからが余談。

醜女と名高い妻を元春は非常に大切にして、生涯側室を置くこともしませんでした。二人の間には何人もの子を授かり、夫婦仲もとても良かったといいます。初めこそ打算がありましたが、それ以後奥さんを大事にした辺りがとてもいい話ですね。

吉川元春の嫁取り話。打算から始まった愛もある、といったところでしょうか。