戦国の異名と、魔王・終

「我は生きていた時は武田判官光和と名乗っておった。死んだ時の最後の一念によって修羅道に入り、魔軍八万四千を率いて天下の争乱を起し、仏法をあだとなし、猛火をもって全ての寺を焼き尽くそうとしている。達磨大師九年の修行ですらどうもすることはできない。ましてこの頃の一僧において何が出来るというのか。形こそは僧に似ているが、心は鬼の如く、身に法衣をつけているが、心は俗塵に染んでいるではないか。仏は太平の世の中のかん族であり、釈迦は乱世の英雄である。このような不都合なものがどうして我を降伏させることが出来ようか!」

言い終わるが早いかその男・武田光和は一口に僧を食おうと飛びかかりましたが、僧が即座に大声で「通心無影像!」と叫んだその一瞬、光和は合掌して何かを唱えつつ、跡かたもなく消え去りました。

この僧はこれはまことに不思議なことであると思って、ここに暫く逗留して光和の霊を弔いました。

その後このことを武田のゆかりの人たちに語ったので、彼らはやがてこの僧と供養をして、千部の径を書写しこの地に埋め、千本卒塔婆を造って追福を祈ったので光和の怨霊もようやく静まったと伝えられています。

武田光和、今項羽武田元繁の息子。死後に魔王になった男の逸話、これにて終幕です。

戦国の異名と、魔王・10

さてまたそれから暫く後、今度は禅宗の僧が道に迷ってこの山に通りかかりました。僧は山で寝食をして、夜は座禅などしていたようです。すると突然空が曇り雨が一しきりに降った後大きな松風が吹くと、やがて山が崩れるかの様な音がしました。

恐ろしくなった僧はひたすらに「魔界仏界同一如」と念じていると、年のころ三十余りの大の男が鎧を着て、鉄の弓を持ち、鉄の矢を負い、葦毛の馬に乗って飛んできたではありませんか。その上その後に、同じく四十ばかりの男が八尺ばかりの金棒と大まさかりを左右に持ってついてきました。

二人が物をいうのを見ていると口から火を吐いており、主と思われる男が「小河内」と呼ぶと、「はい」と六十ばかりの頬にひげの沢山生えた老人が大地から湧き出てきました。もうこれだけで発狂ものですお坊さん凄い。

さて主人らしい男は「これにお客のお坊さんがおられる。おもてなしを。」というと、小河内は「承りました」と湯玉の湧きかえる熱鉄をちょうしに入れ、鉄の杯を添えて持って来ました。そして男は僧に向かい、

「宗門には熱鉄を飲むの句がある。貴僧に一杯おすすめしょう。では先ず試しに自分が飲んでみせよう」

と、三度杯を傾け、その後また言葉を続けました。

 

戦国の異名と、魔王・9

さて自らを弔おうと庵を立て、日夜念仏を唱えてくれていた僧を追い返して下山させた武田光和。いったい彼はどうしてしまったのか。むしろ地獄がバトルフィールド的にお似合いなので現世にとどまらずあっちに行ってほしい

さてそれからまた暫くして、今度は日蓮宗の僧が一人この山に登りました。僧は法華経一千部を読誦し、その武田光和公の菩提を弔いましたが、そこに葦毛の馬に跨った光和が空中から現われ、かの僧に向かって怒鳴りはじめました。

「一切のお経はくそを拭う紙、三世の仏はくその中の虫である。そのきたない紙の中の字を読んでなにになるというのか。そのような事はやめて歌でも一つ歌え」

この物言いにの僧は、自分は三十年余りお経を読み、いろいろの功績を積んできた者だ。もしこの功力が空しくないものであるならば魔性のものを退けたまえ、と諸仏に念じるとその念が届いたのか、現れた化け物(いや光和だけど・・・)は雲路をさしてのぼっていったと言います。

しかしどうやらこれでも成仏していなかったのか、この後も武田山はたびたび怪しい事が起り、木こりも炭焼きも山に近づかないようになったということです。

既にして二人の徳ある僧を追い払ってしまった光和の亡霊。彼の話はもう少し続きます。死んだ後なのに

戦国の異名と、魔王・8

こんな事があったのだから武田光和の居城があった武田山では怪異の噂が立ち広まりました。そして暫くして、念仏を上げていた僧が一人、武田山のふもとを通りました。山の怪異のうわさを聞いた僧は、

「それは亡き武田光和公の霊が成仏せずに修羅道をさ迷っているのであろう。しかして仏の力で救われぬことなどはないから大丈夫だ」

と言うと、僧は山頂に庵を結び、光和の供養に念仏を唱える日々を始めました。すると、光和はある時は老翁となって現われ、ある時は美女や童子になって現われ、夜な夜な僧を悩まし続けるようになりました。この光和が言うには、

「上に貴ぶべき諸仏もなく、下に救うべき人々もない。念仏など唱えていったいお前は誰を救おうとしているのだ?」

と、僧に尋ねました。あまりの事に一瞬答えに窮した(常人なら仕方ないだろう)僧を見た光和は

「念仏不問!私の声が汚れるので早々に下山せよ!」

とまさに鬼気迫るとはこの事と言わんばかりに僧に迫ったので、僧は山を下りてこの事は己の胸の内深くに隠して置き続けました。しかし僧はある時弟子にこの事を話してしまい、その弟子の一人が還俗して皆に話したのでこの事は一般の者たちにも知れ渡ってしまったという話です。

 

戦国の異名と、魔王・7

色々な逸話で超人じみた能力を見せつける武田光和の人としての生も、もうすぐ尽きようとしています。ここからが魔王になった男のハイライトです。

1540年、光和は毛利元就を通じて大内家についた熊谷信直の討伐を準備していました。しかしその最中に、なんとこの武田光和は急死してしまいます。急死の理由は分かっていませんが、恐ろしいのはこの後すぐです。

光和が死ぬ時、黒雲が空中にたなびき、屋敷の上をおおい、雲の中に鎧のすれ合う音、刀と刀のかち合う音、馬の轡の金具の鳴る音がしたといわれており、その後の銀山城は大魔所となって奇怪なことがたびたび起こったといいます。

そして翌1541年、毛利元就に攻略されて銀山城は落城。光和の後を継いだ若狭武田氏の信実は逃亡し、ここに安芸武田氏の嫡流は滅亡しました。

しかしそれから数年後、元就は山県筑後守に命じて武田光和の居館を破却しようとするも、力者3人を連れ館に入った山県筑後守りは奇声を上げて卒倒。力者3人も倒れ、
庭でその様子を見ていた従者が筑後守を手当てすると彼は息を吹き返したものの、後の3人はそのまま死んでしまったと言う。山県筑後はその後この時の事を尋ねられても、何も語らなかったと言います。

一体、何が館にいたのでしょうね。

戦国の異名と、魔王・6

光和がそう頼むと、法師は琵琶を奏でゆうゆうと歌いだします。その音色も歌声も一級品であり、光和もこれは本物の人間ではないかと思いました。

(いや待てよ、化け物は人を騙すと言っておったな。ならば油断はできん、だが切った後で人間であってはどうしようかのう・・・・よし、とりあえず縄で縛って捕まえておこうか)

考えるや否や、光和は一気に盲人に組み付きました。すると盲人は悲しい声泣き始めました。

「なんと無体な事をなさいますか。私は別に自分の命が惜しくてこのようなことを申しているのではございません。ですが立派なお侍様である貴方が目の見えぬ私相手にこのような事をしては末代までの恥でございましょう!」

これを聞いた光和。やっぱり本物の人間であったかと焦ります。近隣に名が知れている武田光和ともあろう人がこんなことをしては皆の笑いものです。

(よし、一思いに絞め殺そう)

何という判断か。焦っているのだと思いたい。

証拠隠滅を図ろう考えた光和に、法師は慌てて叫びました。

「おい立派な侍が証拠隠滅とかふざけるな!」

「何でおれの考えが分かったんだ!?やっぱお前化け物だろ!俺の勘は間違ってなかった!!!」

そうして光和が力任せに首を絞めると、老人は血を吐いて死んでしまいました。翌朝、老人と思われた者はやはり化け狸で、背中には一本の毛もなく、二歳の子牛ほどもある大きさであったと言う。

良かったのか悪かったのかの判断は途中でやや微妙なものとなりましたね。

戦国の異名と、魔王・5

戦国の世に現れたリアル・クリーチャ―武田光和の逸話はまだまだ終わりを見せません。

さてそれは当時のこと。安芸佐東郡には一つの古い文殊堂があり、そこに化け物がおり人を化かすとの噂がありました。それを聞きつけた光和は誰か行って退治せよと
近習の者に命を下すと、青木某というものが承り化け物退治に出かけていきました。しかし彼は散々に化かされ、這う這うの体で帰ってきました。

それを見た光和はならば俺がやってやろうと一人文殊堂に出かけていきました。化け物如きで怯える武田光和ではありません。この戦国の世で一番怖いのは人の形をした何かですから。

夜も更けて、静かな夜空の元で何とはなしに不吉な予感がした光和。辺りを見渡すと、一人、60は超えていそうな盲人が荷物を持ち、杖を突きながら文殊堂に歩み寄ってきました。これが例の化け物だろうかと光和は警戒していますと、相手は声をかけてきました。

「誰かいらっしゃるのですか?どなたでしょう?」

「おおここにおるぞ。法師よ、お前はどこの者だ?」

どう見ても怪しい人物ですが、とりあえず会話から試みる光和。どっかの鬼とは違う

「私は厳島に住んでいる者です。しかし最近はこの暑さに参ってしまい、ここで寝泊まりをしながら里の人達に歌を聞かせて生計を立てております。もしや貴方はお侍さまでしょうか?」

「おうその通りよ」

「一曲いかがですか?」

「では平家を頼もうか」

 

戦国の異名と、魔王・4

大内方が光和を捕獲しようと作戦を練った翌日、光和はまたも先陣に立って大内方の兵を薙ぎ倒していました。ここで大内方、偽の退却で光和をおびき寄せようと行動します。

これは結果的に成功。 武田勢が追撃して来たところに大内方は軍を返して逆に武田勢を包囲しました。敵の作戦に気付いた武田勢は撤退を開始しましたが、 一人突出していた光和は撤退部隊の最後尾になってしまいました。そこに現れたのは若杉ら、大内方の精鋭達。逃げる光和と武田軍をののしり始める彼らの挑発に乗ってしまい、光和はそれに引き返してしまいました。

まず若杉の弟が一番に光和に襲い掛かりました。しかし光和が3尺程の大太刀で胃の辺りを強打すると一たまりもなく一撃で死んでしまいました。 続く若杉の兄は組み付こうとして光和に捕まると、後方から押し寄せる大黒に向かってまるで鞠か何かの如く投げられ、ぶつかった二人はそのまま死んでしまい、 最後に残った一人もそれを見て怯んだ所を光和の大太刀の一閃で討ち取られたのでした。

こうして大内の作戦は失敗に終わり、光和は悠々と城に引き返したのでした。

その後、牛尾・亀井・毛利元就らの5千の援軍が到着し、8月5日の夜に毛利ら安芸国人衆の夜襲で決着がつくのですが、結局大内は光和を討ち取ることは出来ないまま終わってしまうのでした。

リアル・クリーチャーこわい。(真顔)

 

戦国の異名と、魔王・3

さて歴史に戻りましょう。ここから魔王・武田光和の生涯をざっくりながらも追っていきます。

1523年、尼子経久が安芸中部の鏡山城を落とした事で安芸の大半は大内から尼子の勢力下となりました。そしてその翌1524年、大内義興は安芸を取り戻すべく経久が伯耆に出兵した隙に安芸西部の桜尾城、そして武田光和の居城、佐東銀山城に出兵します。

佐東銀山城を囲むは大内家の柱石・陶興房とこの戦が初陣の大内義隆、そして彼らが率いる兵は1万5千。光和が率いる篭城軍は3千・・・この時点で五倍近い兵力差です。

しかし6月25日の緒戦では援兵として来た熊谷・香川の兵千余りが敵の抜け駆けを察知して大内方の杉・問田氏率いる千5百余りを撃退。それから7月に入り光和率いる篭城軍3千は何度か大内側と合戦を行いました。その中先陣に立って奮戦した人物こそ、城主・武田光和その人です。

自らの武勇を頼みに大内方の兵を斃す光和。しかし当然その話は大内方にも知られ、ならば何とか討ち捕ってしまえと作戦が立てられます。中国地方で敵無しと評判の豪傑・若杉四郎三郎と、やはり大力で知られたその弟、または大黒新允と言う大力の者や大内義隆の近習で打物達者と言われた者を加えて、彼ら4人が囲んで光和を斃す作戦が立てられました。

さて光和はどうなってしまうのか?

戦国の異名と、魔王・2

こんな人物が現代の世の中でいても恐れられるような気がしますが、昔の人たちから見れば更に恐ろしかったと思います。もう生前から鬼か魔王だったのではと思われていても不思議ではありません。

そんな光和の力がどれほどのものであったかというエピソードをひとつご紹介しましょう。

当時、居城・銀山城へ登る道に大きな岩が出ていて馬が通るのにとても不便でした。しかしこの大きな岩は並大抵の大きさと重さではなく、6、70人の人夫の力でなくては とても動かすことができないと言われていました。仕方がないのでこの大岩は大昔からそのままになっていたと言われています。しかし光和は自分の力試しにこの岩を動かしてみようといって、なんとこの大岩を 軽々と谷底に転がしてしまったと伝えられています。

その上この岩、現存しています。光和が投げた岩は山麓の安佐南区祇園帆立に「いぼ地蔵」「投石地蔵」として残っていて、この岩の側にある松の葉で 人の体に出来たいぼをつつくとそれが落ちると伝わっています。こんな関連の逸話は沢山ありますが、なぜいぼがとれるような伝承になっているかどうかは全く不明。光和様のお力じゃあ、という事なのでしょうか?

むしろ伝承まで混乱気味なのが少し面白いですね。

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