一時の衰退

その大内氏ですが、南北朝時代に一時的衰退してしまいます。

その大内氏の栄華を取り戻そうとしたのは室町時代になってから。当時の当主であった大内盛見は北九州地方に進出。九州探題渋川氏に代わって北九州を担当、幕府より豊前守護にも任命されます。ですがこれは北九州地方の豪族達の反発を受け、少弐・大友らとの戦いに敗れて亡くなってしまいます。ここで大内氏は栄華を盛り返せないまま終わるかと思われましたが、後を継いだ甥のだ甥の大内持世は盛見に匹敵する優秀な人物で、6代将軍足利義教の信任を受け筑前守護に任じられて、少弐・大友を征伐して、大内氏の北九州における優位を確立しました。この持世は大内氏の栄華の時代を作り上げた大内義弘の遺児と言われていますので、その優秀さは押して測るべき人物だったのでしょう。

ですが大内氏の期待を背負った大内持世は嘉吉の乱に巻き込まれ非業の死を遂げます。その後は持世の従弟で養子であった大内教弘(大内盛見の子)が勢力を引き継ぎました。この辺の下りは家系図でもないと分かりにくいですね。

さてこの教弘の子政弘は、応仁元年から始まる応仁の乱で西軍の山名宗全に属して勇名を馳せ、乱の終結後は九州での復権を目論んで挙兵した少弐氏・大友氏を再び屈服させました。正弘の活躍はそれだけに留まらず、室町幕府にも影響力を及ぼす守護大名としての地位を保持し続けた。

さてこの正弘の子、義興から戦国時代の大内氏は始まっていきます。


2014年5月18日 一時の衰退 はコメントを受け付けていません。 新着